「ギター弾きたい症候群」タグのついた投稿

夏に「ギター弾きたい症候群」を発症してからも、春と同じペースで勉強はしていたものの、頭の中はギターのことが90%以上を占めるという「ギター弾きたい症候群」の症状に苦しみ続けた。何しろ勉強に集中できないのだった。ひどい時には握っていた鉛筆で空ピッキングをしていた。そうなるともう文字は書いていない。訳のわからないぐちゃぐちゃの筆跡が紙上に残った。今思うと、消しゴムで間違いを消すときもピッキング的な動きをしていたかもしれない。・・・泣ける話だなぁ。ぐすん。

そしてイマイチ成績が志望校に届かないまま、秋が過ぎていった。この時期は焦りも加わり、精神的にもきつい時期だった。この頃の思い出はほとんど残っていない。それほど勉強と「ギター弾きたい症候群」の諸症状だけの毎日だったのだ。泣けるなぁ。 そして話の展開は加速する・・・。

冬を迎え、年も明けた。いよいよ受験シーズンだ。 オイラは禁断症状に苦しみながらも、とりあえずのゴールが見えたことで残りの力を振り絞り、ラストスパートに入っていた。頭の中では脳内ヌーノがファンキーリフを刻み、脳内イングヴェイがメロディアスな速弾きでオイラを攻めてくる。しかし、それでもオイラはの目は参考書の記述を追いかけ、ピッキング的動作で書き取りを行う。脳は既にヤツらに占拠されているから、体に覚え込ませる作戦である。たぶん、学習速度は通常の3分の一以下だったろうが、ここまできたらとにかくゴールまで走りきるのみ。

・・・まじで泣ける話だなぁ、ぐすっ。自画自賛。

2月からいよいよ入試開始。最初は滑り止めを2校。どっちも合格した。余裕だったねぇ。滑り止めだからな。

そして第1志望のK大。試験前半は集中できたが、後半、脳内シェンカーが登場したが、この日はご機嫌が悪かったのか、2曲だけ演奏してステージを下りてしまった。助かった。だが、最後の選択教科が本番は過去問よりもやけに難しい問題が出た。なんじゃこりゃ。さっぱりわからなかった。得も言われぬ敗北感を胸に試験会場を後にした。・・・して不合格。オイラと同じ教科を選択していた奴らほぼ全員落ちていた(選択教科が同じだと受験番号も連番になるのでだいたいわかる)。試験が難しすぎて他の教科を選択したヤツラと差が付きすぎたのではないかと思えたが、もういい。終わったのだ。

「いいんだもんね。K大じゃなくても他にも大学はあるもんね。」何を隠そうオイラはこの頃からすでに居直り型のギタリストである。それに、実際にも第一志望といってもどうしてもそこでなければならないというこだわりはなかったのでダメージは少ない。

続いて第二志望のN大の試験では最初から最後まで例の禁断症状が出た。出まくりだ。試験終了まで頭の中では脳内ヌーノがファンキーなリフを奏でまくっていた。「All I see is pornograffitti、all I see is pornograffitti」という歌詞も繰り返された・・・英語の試験では分からない問題の解答はとりあえずPornograffittiの歌詞で埋めてやった。 そりゃそーだ。全然集中できなかったし。手ごたえなかったし。でも空白はない。とりあえず、英語はPornograffittiの歌詞で埋めたし、 数学は「A=440Hz」と回答した。ギタリスト的には正しいだろう?

トーゼン第二志望も不合格。

最後に我が母校となったT大学だ。トーダイじゃないからね。念のため。 実は第3志望だったT大は難易度は第一志望K大よりも上だった。志望順位は大学の学科のカリキュラムなどを考えて決めていて、難易度はカンケーナイ。そして実はもう一つ大事な基準を持っていた。「大学進学を機に、一人暮らしいをしたい」という野望だ。そうすれば好きなだけギターが弾けると思ったのだ。「何しに大学行くんだ!」と言われようが関係ないのだ。「高校時代も好きなだけ弾いてたんじゃないのか」という突っ込みにも耳は貸さないもんね。 一人暮らしは親は許してはいなかったのだが、家から通えない学校に決まってしまえば否応なしだろうというアザトイ計算をして勝手に願書を出して臨んだのだ。そして、その条件を満たしていたのがK大だったわけだ。しかし、やはりフジュンな動機ではだめだねぇ。

で、第3志望ではあるものの難易度は第一志望よりも上だったT大。K大、N大に比べて試験は出来た。運が良かったのか、天国のジミヘン様が「オマエをT大の軽音楽部にいれてやろう」とご配慮くださったのかわからないが、禁断症状が出なかった。試験も数日前に復習したのと似た問題が出た。だが、トータルではビミョーなところだなぁという感触だった。何しろ1年間勉強はしてきたが、集中はしにくい一年だったし、実際それほど成績は上がらなかったからなぁ。でもこれですべての受験日程が終了、心晴れ晴れだ。

01 jimi-hendrix

(新春編へつづく)

勉強はしているものの、成績がイマイチ上がらないオイラは日に日に焦りが募った。特に英語がキビシー。だらだら生活しているわけではないから、時間がたつのも早く感じる。この調子だとヤバイゼ。季節はもう夏を迎えていた。

オイラは金がなかったのでチャリで図書館に通い、食事は弁当持参。友達と遊ぶでもなく、勉強ばかりしていてクラーイ青春を送っていた。浪人生には当然だと思って割り切ってはいたが、夏は誘惑の季節なのだった。ある日、高校のクラスメイトでギター仲間のKが図書館に現れ、久しぶりだったのでしばし話し込んだ。そんな中であるCDを勧められたのだった。「これスゲーよ!!だまされたと思って聞いてみろよ!曲もいいし、ギターもすげぇぞ。ゼッテーキニイルカラサァ!」・・・タチの悪い勧誘のようなその口調に本能的に「受け取るな!」とは思ったものの、久しぶりに会った友人の勧めをムゲに断れない心やさしいオイラはそのCDを借りてしまったのだった。

その夜、家に帰りそのCDを聴いた。「うぉおっマジでスゲェ!!」・・・めっちゃ衝撃を受けた。今思えば禁ギター生活の最中だったからなおさら衝撃的だったのだ。ギターを弾きたい欲求は頂点に達し、トーカイちゃんを売ってしまったことを目茶苦茶後悔。ヌーノのように弾きてぇ!練習しなければ!と頭の中で誰かが叫んでいた。そして無意識に押入れに向かい、モーリス君の封印に手をかけたところでようやく我に返った。危ないところであった。

この時オイラは気付いた。不治の病「ギター弾きたい症候群」※に侵されていることを。・・・そしてこの時から受験が終わるまでの間、「ギター弾きたい症候群」の恐ろしい禁断症状に苦しめられることになったのだ。まんまとKの悪魔のささやきに乗ってしまったばかりに・・・

そのCDとはEXTREMEのPORNOGRAFFITTiだ。

↓これだ。

Pornograffitti

それまでオイラはイングヴェイや、ザックワイルド、ジョンサイクス、ゲイリームーアなどのテクニカルでありつつ哀愁のあるフレーズを聴かせるギタリストを好んでいた。ヴァンヘイレンも好きだったが、それはエディーが好きというより、中学の時にヒットしたアルバム「5150」の曲が大好きだったからだ。そんなオイラにとってヌーノベッテンコートのファンキーなリフは衝撃だった。「なんだこのノリノリなノリは」と、言葉にするとヘンな感じだが、とにかくあのリズム、キレにヤラレテしまったのだ。イングヴェイを初めて聞いた時も衝撃だったが、ヌーノもそれと同じくらいのインパクトがあった。曲の良さもそうだが、ギターのテクニックも新次元だった。余談だが、彼はタッピングや弦飛びが注目されがちだが、「歪んだ音でファンクのノリの切れのあるリフをビシバシ決める」ということの方がすごかったと思う。もっともこれは大学に合格して練習を再開してから気づいたのだけれど。

話を戻して、当時オイラはギター封印中の身であり、この新たな衝撃によって、持病である「ギター弾きたい症候群」が誘発されてしまったわけだ。頭の中では四六時中Decadance DanceやGet The Funk Outが再生されている。激しく躍動的な曲が続き精神が疲れてきたところでMore Than WordsやWhen I First Kiss Youなどの癒し系の曲が再生されるので疲れないぞ。タチ悪いな。「ナンテコッタ、ベンキョウニシュウチュウデキナイジャナイカ!」と思ってもアフターフェスティボーなのだった。「はかったなぁああ、Kぇええ!!」

・・・逆恨みです。(秋冬編へ続く)

 

※「ギター弾きたい症候群」とは?

四六時中ギターを手にした生活を数年送ると、それが生理的習慣となってしまい、常にギターが弾きたくてしょうがなくなる病気。命にかかわることはないが、現代の医学では治す手立てがない。症状としては長期間ギターを手にしないでいると、右手が勝手にピッキングしたり、左がフィンガリングしたりする。また、寝ている最中に勝手にライトハンドしてたり、右利きなのになぜか左でドアノブの回し、その回し方がやたらチョーキングしているみたいになる。重度になると脳内ギタリストが四六時中脳内エンドレスライブを行うようになり、現実の生活に集中できなくなりキケンである。適度にギターを弾いていると症状は出ないことが多く、無自覚である場合が多い。

若いころにこの病気に罹患すると、社会人になってから「ギター買いたい症候群」も併発するケースが多くみられる。お茶の水の楽器店街で徘徊している40~50代の男性の半数以上が罹患しているとのデータもある。