「T大学K-ON」カテゴリーのアーカイブ

その昔、オイラは初期のフロイドローズを強引に載せた改造ストラトを¥100で手に入れた。当時はメタル小僧だったのでハムバッカー搭載のトーカイレスポールじゃなかったラブロックモデルでOzzy OsbourneやExtremeなどギター(ギタリストと言った方がイイかも)に花があるハードロック/メタルのバンドのコピーに性・・・じゃなかった精を出していたが、一方でCharさんのようなトリオでかっちょええのもやりたかった。たしかK-On部室で先輩がPink CloudのBrain Messageという映像を見ていてそいつに衝撃をうけたんだった。

ちょうどこの頃には件の¥100ストラトを入手していたので、普段とは違うストラトを武器にCharさんのコピーに挑戦と相成った。そのバンド名が「Oira」だ。 前述の映像が衝撃だったのでやはりPink Cloud的に「複数のメンバーが歌っちゃう」というチームを結成。ドラムに同じくChar大好きの「よっち」。メタリカのコピーバンドでギターボーカルも務めているマルチ君だ。ベースはK-On部長も務めるV(「ブイ」と読む)。前出のMappyやMapⅡとは違って曲をものにするのに速弾き的テクを駆使する曲はほとんどないのでギターの技術的にはNo Problemかと思われたが、そうはいかなかった。まず弾きながら歌うのが大変だ。それに、件の¥100ストラトは何しろ無理な改造がされていてどうセッティングしても弾きにくい。あとやっぱりトリオだとバンドの一体感や隙間を隙間と感じさせない聴かせ方が大事になるが、そこもやってみるとムズイ。バンドマンとしての未熟さを痛感したし、実はメタルなテクなどはオーセンティックなロックでは通用しないのだった。激しく歪んだ音だとごまかしくが効くのだね。なのでとっても勉強になったし、やっていて面白かったんである。 やった曲は

①Wasted

➁All My Love~B・Y

③Funk & Roll

④金星のライオン

⑤Without Love

⑥Stand

⑦Drive Me Nuts

⑧Every Breath You Take

⑨からまわり

こんなところ。もっとあったけど忘れちゃった。⑧はポリスの名曲。それ以外はCharさんの曲で⑥がサイケデリックス、あとはPink Cloud(JL&C)。もうCharさんに影響受けまくりなのだった。⑧だけ「?」という方もいるかもしれないが、いい選曲だと思ったのでやったのだ。文句あっか? トリオで全員ボーカルもとれる(おいらはめちゃくちゃ練習した上での話ですけどね)という企画だったんだけど、全員「楽器奏者」でもあるし、インギーやゲイリームーアのように「テクニカルだけど聴かせるメロディー」なギタリストに強い影響を受けているオイラとしては「演奏を聴かせる」ということに集中する曲もやりたい。そんなわけでほぼインストの④や③が選ばれた。④は今でも大のお気に入りでつい先日も店の商品のデモ動画で弾いている(原曲とはだいぶ違うけど)。Oiraを始めたときにドラム担当のよっちが勧めてくれた曲だったのを覚えている。かなりジャジィなコード進行で耳コピが大変だった。そういえばこの曲はストラトじゃなくてラブロックで弾いた。

Pink Cloudの曲が多いので当然ツインボーカルパートも多い。主にオイラがCharさんのパート、よっちがジョニーさんのパートという感じでいい感じにできたと思う・・・というのは当時の感想。でも後で考えると特にギターは「HR/HM」な部分があからさまに出てしまっていてモノホンのファンの方から苦情が来てもおかしくなかったかも。Drive Me Nutsの16分の刻みなんて5弦開放をブリッジミューとして「ズクズク」とまるでメタルのリフのように弾いてたし。Standは全然違った感じだったと思うし。 機会があればまたトリオ編成でCharさんとかジミヘン的な曲をまたやってみたい。 そういえば、このOiraで使った¥100ストラトはその後「店長君」の店の試奏用ギターになっていたとこのブログのどこかで書いていたが、先日店長君から「今は試奏用にはしてなくて店のディスプレイの中に飾りとして納まっている」とのことだった。ついにその役目を終えたようだ。お勤めごくろうさん。

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オイラが学生時代に組んでいたバンドMap.Ⅱの話、前回のアップは9月20日なので、時間が経ちすぎているというご指摘を覚悟して本日いきなり続きをアップする。忘れていたわけではない。後回しにしていたのだ。よけい悪いぞ。

学生時代に念願のテクニカルハードロックをアコースティックモノも混ぜてやるために組んだバンドがMap.Ⅱ。しかもギターやらベースやらドラムやらの楽器だけではなく、コーラスもメンバー全員がやるのだ。

どんな曲をやったかというと・・・思い出せるだけで次の通り。改めて思い出してみるEXTREME率が50%!

  1. EXTREME Decadance Dance
  2. EXTREME Get the funk out
  3. EXTREME Mutha(don’t wanna go to school today)
  4. EXTREME Big Boys Don’t Cry
  5. EXTREME Stop the world
  6. EXTREME Rest in Peace
  7. EXTREME Color Me Blind
  8. MR. BIG Addicted To That Rush
  9. WHITESNAKE Bad Boys
  10. VAN HALEN Dreams
  11. VAN HALEN 5150
  12. MR. BIG Wild World(Acoustic)
  13. Guns n’ Roses Patience(Acoustic)
  14. John Sykes Please don’t leave me(Acoustic)
  15. Joe Satriani Satch Boogie
  16. EXTREME Cupid’s Dead

集まったメンバーはT大K-On屈指のメンバーだったので、基礎演奏力には不安はなかった。が、何しろムズイ曲が多いので楽器隊(ベース店長君、ドラムへいにー君、ギターおいら。)は「練習の虫」となった。ボーカルのオガさんは練習の虫という印象はなかったが、きっとひそかに練習していたハズだ。各パートがテクニカルな難曲相手なのでオイラと店長君は実験や実習(理系の大学だったのだ)の空き時間にふらりと部室に来ては練習しまくっていたし、ヘイニー君も練習用のゴムパッドを持込みパラリドルしまくっていた。ところがボーカルはそーはイカヌ。同じように部室で時間をつぶしたりすることはあっても、そこで突然サミヘイガーばりに歌いだすのには「駅頭歌唱」(知らない人は「管理者養成学校 駅頭歌唱」でググるように。)のような「自分を捨てる覚悟」が必要だし、現実的にお隣の部室(「僻地研究会」というナゾの組織だった)から苦情も来るだろう。そんなわけでオガさんの練習状況はミステリーなのだった。でも練習していたハズだ。

こんな風により難しい曲に挑戦する意欲に燃えていたワレワレMap.Ⅱの面々は前述の挑戦的選曲を徐々にものにしてゆきオイラが大学3年製の1年間に数回のステージ出演を果たした。結果はどれも盛況だったと思う。勿論自画自賛である。

ここで挙げた以外にも曲名は忘れたけどガンズのアクセルローズが絶賛していたBlind Melonの小曲(不思議な雰囲気のアコギ曲)やスティーブヴァイが発掘した子供のバンドBad 4 Goodの曲もやった記憶がある。あと、オガさんは不参加だったが、大学の長期休みに自主的合宿と称して店長君、ヘイニー君、オイラのトリオ編成でUgly Kid Joeもやった。この頃にはもうバンドが楽しくて仕方がなかったのだった。この編成では自分の卒業ライブでCupid’s DeadとSatch Boogieをやった。Cupid’sの方は店長君とオイラで1小節ずつ交互にボーカル担当する(掛け合いみたいな感じ)凝ったアレンジであのリフを弾きながらエーゴで歌うのは大変だった。でも面白かった。

EXTREMEのNunoはテクニカルギタリストとして名をはせているけど、実はそのリフのノリをコピーする方が難しい。当時ギター誌に「Nunoのストリングスキッピングタッピング」が最高峰プレーのようにもてはやされていたけど、リフの方が大変だ。

オイラにとって運命的なアルバム。ここからはDecadance DanceとGet The Funk Outをチョイス。

オイラにとって運命的アルバム。Decadance DanceとGet The Funk Outをカバーした。

VAN HALENの5150はバンドでカバーしたことがある人はわかると思うが、結構ややこしいリズム(VAN HALENお得意のリズムのひねり)だし、サミーの超ハイトーンはそこらのアマチュアには絶対ムリと思われるもの。でもオガさんは完璧に歌いこなしていた。脱帽。Dreamsは曲自体はシンプルな8ビートだけど、原曲では印象的なシンセのリフなのをオイラがギターリフにアレンジした。そこがチャレンジな部分だったのだが、ライブでの評判は良く中には「VAN HALENより良かった」というお世辞もいただけたので自己満足度はMax。でも実はアレンジに満足しちまって、ギターソロが音痴だったのはK-Onの中では有名な話だったりする。

名曲Dreamsと難曲5150をカバーした。サミーの頃は曲がチョーよかった。

名曲Dreamsと難曲5150をカバーした。サミーの頃は曲がチョーよかった。

WHITESNAKEのBad Boysはメタルよりのハードロック愛好ギタリストの間では「弾きたいリフBest3」に入る名リフが弾きたいのでオイラが推薦した曲。この曲だけちょっと他と傾向違うぞという指摘が現在でも店長君からある。その通りだよ。こいつはオイラのイングヴェイ的ワガママによる選曲だったのだよ。でもヘイニー君もWHITESNAKEが好きだったのでよかったのであるよ。

ハードロックというよりはメタルだったこのアルバムからはBad Boysをカバー。リフがシビレルのだ。

ハードロックというよりはメタルだったこのアルバムからはBad Boysをカバー。リフがシビレルのだ。

やはりテクニカル面でのハイライトはMR.BIGのAddicted to that rushだろう。ベースとギターのユニゾンのタッピングフレーズはかなり練習した。ドラムは細かいハイハットワークやキックが決まらないと締まらないが、ヘイニー君は難なくこなした。彼は本番数日前に階段でこけて足を捻挫するというアクシデントに見舞われたが本番は完璧であった。拍手。この曲は当時の学生バンドの間で流行っていて、他の大学のバンドでもカバーしていたけど、オイラ達Map.Ⅱの完成度が一番だったもんね。自画自賛ですが何か?

難曲Addicted to that rushをカバー。今はもう弾けない・・・なんてこった。

当時のアマチュアバンドマン垂涎の難曲Addicted to that rushをカバーした。今はもう弾けない・・・なんてこった。

Map.Ⅱの活動期間はオガさんが4年生になるまでくらい(オガさんはオイラの一学年上)だったと思う。同時期にOzzy Osbouneのコピーバンド(しかもオイラがボーカルを兼任だ)やら、Blue Murderのコピバン(このバンドもボーカル兼任。めちゃくちゃだ。)などもやったが、このMap.Ⅱで学んだことの多くが他のバンドにもつながっている。例えばそれまであまりバンドでは歌はやらなかったオイラがコーラスもやることで、自分で歌うという選択肢をとるきっかけになったし、曲のアレンジの経験は他のバンドでも役立った。どんどんバンドが楽しくなっていたのだった。

大学4年間、一番一緒にバンドをやったベーシスト兼ボーカリストの店長君はT大入学当初はBOOWYがやりたかった少年であったが、オイラを含む同級生はハードロック・メタル派が多かったので、必然的にそっち系のバンド参加が多かった。そんな彼とやったバンドで一番印象に残っているのが今回からの思い出話、Map.Ⅱだ。

バンドとなると自分の好きなものだけだとつまらなくなるということを最初のイングヴェイバンドBOOWYバンドなどで学んだオイラは大学も2年以降になると「一緒に組む相手が好む曲」というのも重視するようになった。必然的に一番バンドを多くやった店長君の好みの曲をやることになるわけだが、もとよりExtremeやVan Halenでさわやかアメリカンハードロックも大好きではあったので無理をして合わせたわけではない。イングヴェイにもHeaven Tonightのようなアメリカンさわやかハードな佳曲もある。それに受験生時代には悪友の影響でEXTREMEにハマったおいらはヌ~ノベッテンコートのノリノリな楽曲にも挑戦したい。この頃はやっていたこの手のバンドはギタリストがハイテクなことを売りにしているバンドが多く、ギタリストとしてのやりがいはもちろん、コーラスに凝ってみるというのも楽しそうだ。フックのある曲が多いわけだが、これをうまく聴かせるためのコーラスワークがバンドの一体感を左右したりする。それもやりたい。

そんな感じでMappy終了後オイラは店長君とともにアメリカン➕さわやか➕コーラスばりばり➕楽器的にテクニカル…なハードロックバンド、Map.Ⅱを企画することになった。そしてついにEXTREMEのコピーからこのバンドはスタートする。受験生時代に病的に憧れたDecadance Danceに挑戦するのだ。

⇓EXTREMEのDecadance Danceは良い曲だ。ちーん。

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「アコギもの」もやりたい。Mappyで味をしめたこの要素はライブのなかでよいアクセントになる。この流れをくんでいるので自然にMap.Ⅱというバンド名になった。

このバンドが実現したのは店長君以外のドラム、ボーカルにも恵まれたことが大きい。Mappyで定期演奏会に出演したのは大学2年の6月だったが、その年の新入部員の中にドラムがめちゃくちゃうまいヘイニー君がいたのだった。期待のシンジンだ。ネオクラシカル系でありがちなツーバスドカドカは好きでないヘイニー君だったが、EDecadance Danceを聴かせたところそのノリの良さにノックアウトされ、あっさり参加決定。

アメリカンハードはボーカルがハイトーンでないと再現は困難だ。オイラの学年にはこの手の音楽が大好きな男ボーカルもいたが、Map.Ⅱには1年先輩の女性ボーカルのオガさんが参加することとなった。女性ボーカルといえどこの人の声はロックなエッジがあってサミヘイガーばりのハイトーンもこなせるすごい人だった。また、アコギものの選曲も味のあるいい曲を提案してくれた。しかもオガさんは部内でも1,2を争うしっかり者であったのでいーかげんなオイラのヒキシメ役にもなったと思う。何しろオイラは根がインギーだったのでわがままなのだった。

そういうわけでこの4人でMapⅡがスタートした。

つづく

Mappy結成当初はダンキチ君も積極的にやりたい曲を提案していたが、元来めんどくさがりな人なので、活動が始まると「おまかせ」が多かった。そんなこともあったのとオイラは「やりたいことをどんどん実現してゆく」というスタンスだったので必然的にオイラの考えでバンドは進行する。

前回、候補曲を上げたもののアレンジに難ありなど行き詰まりを感じたオイラは当初の思惑にも合った「メンバー追加」を提案、ダンキチ君もすぐに同意。

パートを増やすといってもやみくもに楽器を増やせばよいというわけではない。バンドで聴かせるのに重要なのはボーカル・コーラスだとも考えていた。だから歌も歌える楽器プレイヤーがいい。そんなわけでまずはこれまでも一緒にバンドしていた店長君にベース兼ボーカルで参加を要請。当時の彼は断ることを知らない男だったので即参加決定。何しろ音感がよく、どんな歌にもコーラスを付けてしまうという特技を持つ。いいぞいいぞ。

あと一人欲しい。そこで白羽の矢が立ったのは学際のFreez Moonに鍵盤奏者として参加していたIちゃん(女子)。Iちゃんを誘ったのは単に鍵盤奏者というだけでない。本人から聞いていたのだがフルートができるという。いいぞいいぞ。そして歌がすごい。彼女は学祭で4年生のバンドにただ一人1年生で参加していたのだが、そのバンドでポリスの「見つめていたい」のコーラスを担当していた。これがすごく魅力的なものだったので実は最初から目を付けていたのだ。彼女の声はとても伸びる声で張りがあり、しかも英語の発音も美しい。ロックも行けるし聴かせる曲おOKだ。今のところ3人男なので、歌に女声が加わるというのもイイ。彼女は学業が忙しい人だったので少し迷っていたと思うが参加してくれた。彼女の参加によってMappyのラインアップが完成。

この4人でMappyは年末くらいから活動開始。目標は翌年春の定期演奏会出演。しかし、やってみるとダンキチ君と二人で上げた選曲の半分は無理があって早々にボツったので曲が足らない。とはいえ、実はおいら、店長君とIちゃんを誘う段階でどんなステージにするか、そのために加える曲などを考えていた。

それは次の曲を「ステージが進むごとにだんだんメンバーが増えてゆきサウンドが変化する」というステージングでやることだった。

  1. Aria On G Strings(バッハ)・・・ソロギターインスト。ステージ袖で弾き始めて曲の終わりにステージに出る。BGMと思わせつつ、実は弾いてました!というのを狙う。
  2. Love And Affection(Nelson)・・・ダンキチ君合流、アコギバックにダンキチ君リードボーカル、オイラがハモリ。単なる弾き語りにせずにコーラスを聴かせる。シンプルなアコースティックソングにする。
  3. Born To Be My Baby(Bon Jovi)・・・アコギバックにダンキチ君がリードボーカルで歌の掛け合い部分に店長君合流。ベースはまだ弾かない。これもシンプルなアコースティックソングだが、敢えて3人でやることで次へのさらなる変化を予感させる。
  4. Tragic Comic(Extreme)・・・ベースから曲がスタートし、前曲での予感を現実にした後、追い打ちをかけるように女声ボーカルを聴かせる。Iちゃんはこの曲以降主人公。アコギのリフをダンキチ君、オイラはエレキのオカズ。全員でコーラス。
  5. Rise ‘n Shine(Extreme)・・・もともとアコースティックな曲だが、原曲にはストリングス入り。ボーカルの掛け合いのようなパートも多い。それを4人全員で歌い、コーラスをとる。このステージで一番の山場。ストリングスのパートはIちゃんがフルートで。K-Onのイベントは基本ロックバンドなので、フルートが出てくるのは意外性を狙う。
  6. More Than Words(Extreme)・・・5.でかなり盛り上げて最後はしっとり聞かせて終わるというのを狙った。二人がギター、あとの二人はリードボーカルとハモリという構成。

 

文章にするとわかりにくいな。曲を知らないと何のことかわからないかもしれないが、俗にいう「起承転結」というのを意識して構成している。一曲ごとにメンバー、楽器が増えてゆき、曲調もだんだん盛り上げていって最後にしっとり終わるというものだ。

 

全員一年生でそれほど気を遣う中でもなかったので(と思っていたのはオイラだけかもだけどね)、この方向性で練習を進めてゆくことには障害はなかった。もっともバンドというよりコンセプトを持ったプロジェクトのようなものになったので「バンド感」というのは少し薄くなったかもしれない。イングヴェイCryingバンドに近く、オイラ主導でけっこうなわがままを通してもらっていたし、提案する割にはオイラのアレンジの力不足という点は否めず、パートが増えるにしたがって完成度を高めるのが難しいという事にも直面した。音源は残っていないので今となってはどんなだったかもうわからないが、きっと今なら「もっとなんとかできるのに」という出来だったに違いない。そんな感じなので当然メンバーにも苦労させたはずだ。特にIちゃんには無理にフルートをお願いした上、その曲がギター半音下げアレンジだったので、フルートで演奏しにくいキーになってしまった。それでも文句を言わずにフルートしてくれたIちゃんには頭が上がらない。さらにIちゃんの歌がピカイチだったことがこのMappyのステージの後半を支えていたのは疑いようがない。余談だが、大学卒業後、店長君の結婚式でもう一度More than Wordsをやった。これは店長君直々のリクエストでもちろんリードボーカルはIちゃん。たぶん、ゲイリーシェローン君+ヌ~ノベッテンコート君より聴かせていたぞ。

つつがなく本番ステージを終了したオイラは一仕事終えた気分だった。気づいてみればドラム不足を憂う気持ちも減り、なんだか前向きな気分になっていた。オイラ的には思惑通りのステージができたと思っているが、前述の通り後半は少し難しい部分があったと思う。。評判はかなりよかった。実は先輩から「ドラムなしのグループは定期演奏会はダメ」などと言われることを当初危惧していた。Freez Moonでも店長君Vocal兼任に横やりもあったし。でも先輩方は広い心で見守ってくれたのでそんな横やりもなく余心配だった。

他の出演バンドを見に定期演奏会に来てくれた人から「Love And Affectionをもう一回聴きたい!」と書かれていたのがうれしかった。

実験的でオイラ主導のプロジェクトのような感じになっていたこともあってこのバンドは一回のステージで終了となった。やはりドラムなしでいろいろなアレンジをして完成度を高めるのは当時のオイラ達にはハードルが高く、それなりに緊張感が続いてしまうので疲れた。それに薬学部で勉学の方も超多忙だったダンキチ君とIちゃんはバンド活動継続自体が難しくなっていた時期でもあった。しかし、のちに凄腕ドラムと凄声ボーカルを加え同じ精神を引き継ぎつつ、本来のオイラの嗜好だったハードロックをやるバンド、MAP.Ⅱが誕生する。このバンドにはダンキチ君とIちゃんは参加できなかったが、「アコースティックもやる」「意外性もある」というキーワードは継承した。なので名前もMAP.Ⅱなわけだ。MAP.Ⅱではハードロックを中心にセットリストを組み、途中アコースティックを織り交ぜた。そしてかねてからの目標ったEXTREMEやMr.Bigの難曲にも挑戦することになる。

ちなみにバンドのMappyはダンキチ君がつけたもので、彼が好きだったゲームの名前だとか・・・オイラはそのゲーム知らなかったけど、かわいらしい響きが気に入っていた。

開業するちょっと前から本ブログで大学時代のバンドの話を書いていた。継続的なネタがないかと思って書き始めたのだが、身内じゃないと分かりにくい私的な内容だし、いくつもバンドをやったので全部文章にするのは困難ではあった。開業後はいろいろ文章にしておきたいことがでてきてネタに事欠かなかったので今日まで大学時代の話はお休みしていた。1か月ほど前に大学時代の仲間と飲んだ時に後輩のV君から「俺とやったバンドの話がないぢゃないか!」との指摘を受けていて、落ち着いたらまたちょくちょくこのネタを上げようとは思っていたが、指をけがして手を使う作業は後回しにしている今、ちょうどいいタイミングなので久しぶりに書く。例によって身内話度が高く、しかも映像が残っているわけでもなく文章ばかりなので読むのは大変だと思う。スマヌ。そして今回の話もV君とやったバンドの話ではないのだった。V君スマヌ。

さて、本題。時は1992年の晩秋にまでさかのぼる・・・

T大K-ON部員たちには大きな悩みが一つあった。それは「慢性的ドラマー不足」である。オイラが入部した1992年の1年生はチェッカーズが好きなチェッカル君一名、2年はオイラのわがままイングヴェイバンドでたたいてくれたW先輩一名、3年生はデスメタル大好きドラマーのS先輩といった感じで各学年一人体制。対してギタリストは各学年合わせて10人以上、次いでボーカリスト、ベーシストという順で多い。ボーカルについてはベーシストやギタリストが後々兼任するようにもなったので全く困らない。鍵盤も少なかったが、バンドで音を出すときの「いないと困る度」はダンゼンドラムなのだった。

そんなわけでドラマーは常に掛け持ちをしている感じが多い。困ったことに当時のオイラが嗜好していたツインペダルどかどか様式美ハードロック・へヴィメタル(以下HR/HM)をたたける人はいなかったし、やりたがる人もいなかった。ドラムが好きな人にとってはあのスタイルは面白くなかったようだった。浪人時代にはまったExtremeもやりたかったがあのドラムもかなりムズイ。

秋の学際はチェッカル君とBOOWYバンドFreez Moon、W先輩とイングヴェイその他バンドAM101ができたのでよかったのだが、これらは学際までで終了。オイラは次のステップを考えることとなった。それが今回の話のアコースティックユニット「Mappy」だ。ドラマー不足であるならドラムなしのアコーティックユニットでいんじゃね?という短絡的発想だ。

ちなみにバンドのMappyはメンバーのダンキチ君(思い出12:T大学K-ON ②バンドデビュー?)がつけたもので、彼が好きだったゲームの名前だとか・・・オイラはそのゲーム知らなかったけど、かわいらしい響きが気に入っていた。

「アコースティックユニット」とはいえ別にアコギ一辺倒でで押し通すというつもりはなかった。エレキや鍵盤が入ってもいいし、あまりK-Onではなじみのない他の楽器で花を添えるのもイイ。ドラムなしでもドラム入りのバンドと張れるくらいのことがやりたかったのだ。そしてそれは「ロック」の範疇の物だと認識していたので、演奏するときの気持ちはエレキでイングヴェイしているときと大して変わらないものだ。・・・ところで、当時のHR/HMのアルバムにはハードな曲の中に1,2曲は聴かせる・泣かせるバラードが入っていてそういった曲ではアコースティックギター効果的に使われていることが多かった。Mr. BigのTo Be With YouやEXTREMEのMore Than Wordsなどアコギ主体の曲はもちろん、Skid RowのI Remember Youのようなアコギで始まってバンドで盛り上げてゆくという構成のバラードはロックの醍醐味の一つだ。スラッシュメタルだってメタリカはアコースティックなパートはたくさんあったし、TestamentのThe Balladのようにとてもメタルバンドとは思えないアコギイントロを持つ曲だ。「ロック」「ハードロック」「メタル」の中にもうまいアコギが入っていたのだ。そういったエッセンスをまとめて見せたら面白いんじゃないかと考えたのだ。また「アンプラグド」なんてのも流行ってた時期でプロも自分たちのエレキ曲をアコギアレンジでも披露していた。つまり、アコースティックベースでロックの曲をやるネタはたくさんあったのだ。

Mappyのメンバー第一号はオイラと同じく入部時に強烈インパクトを放っていた目つきの鋭い弾き語り野郎、ダンキチ君だ。彼は長渕剛の弾き語りをやるために入部、学際も数あるバンドの中で果敢にもソロ弾き語りで出演したツワモノである。タイミングの良いことにほかの部員の影響もあってか弾き語りだけでなくロックにも興味を持っていた。弾き語りプレイヤーだから歌もイケるのでやはりツワモノだ。そんなわけでまずダンキチ君にアプローチ。

「ダンちゃん、ドラムなし、アコギ主体で洋楽ロックの曲やろうと思うんだけどいっしょにやんない?」・・・何しろ相手はツワモノで通っているダンキチ君だ。うだうだ説明していては口説けないとふんで、ストレートに誘う。「それならやりたい曲があるなぁ」・・・おおっ期待以上のリアクション!口下手なオイラだったので四の五の言わず、「よしやるべ」と話を進める。さっそくお互いやりたい曲を持ち寄ることになった。出だしイイね!二人組だと話が早いのだった。

そしてあげられた候補曲が・・・

  1. Born To Be My Baby/Bon Jovi
  2. Love And Affection/Nelson
  3. Wasted Time/Skid Row
  4. Save Our Love/Yngwie Malmsteen
  5. Smoke On The Water/Deep Purple
  6. More Than Words/EXTREME

最初からムリのある曲が3つ含まれている。それらはこの後の練習の初期段階で無理と判断しボツにした。その「ボツ3連星」、まず⑤だ。普通の方は「アコギで?」と思われるだろう。あの印象的なリフはエレキだからこその味だし。オイラがあげたのだが、はっきりいてウケ狙いもあった。「意外性」を見せたかったのだ。かといってアコギのみで納得のいくアレンジをする力量もなかった。若者はムボーなのである。③はダンキチ君推薦でセバスチャンバックの高域シャウトなんてムリだと最初から分かっていた。これもムボー度は高い。この曲については練習に入る前「とても歌えないね」と早々にボツった。すまぬセバスチャン。④はオイラが提案したイングヴェイの名「ソロ」が含まれる曲だ。この曲のソロを弾きたい思いがあっての提案だった。静かな曲調なので行けると思ったが、歌が短調でバッキングも単調なのでアコギだけだと詰まらなかった。何しろ歌が単調でギター2本ではつまらない。ソロのバッキングがギター一本になってしまうとあのソロはゴージャス過ぎて浮いてしまう。単なるアンプラグドではなく、「意外性」のあるアコギユニットを目指していたので「単調でもまぁいいべ」という消化試合的発想はない。そこで最初の思惑にもあった「他の楽器も入れて幅を広げる」という作戦に打って出ることになった。二人だと話が早いのだ。

続く

 

K-ONに入部してすぐに、帰り道が同じ方向の「店長君」(現在某楽器店の店長なのでこう呼ぶ)とBOOWYのコピーバンドを企画した。店長君はオイラのイングヴェイの曲をやるバンドではベース担当だったが、このバンドではボーカルを担当した。他のメンバーはもう一人のギターとベース、キーボード、ドラムすべて1年生だけで集めた。中には高校時代少しバンドを経験している者もいたが、おいらも含め全員初心者の集まりだった。

まずはバンド名を決めた。オイラが提案したのは「Freeze Moon」。オイラが大学に入学した年に亡くなった尾崎豊の曲から拝借した名前。他にも「A Hard Days Night」という案も出ていたのを覚えている。今考えるとそっちもええなぁ。・・・バンド名って結構真面目に考えると難しいけど、曲名を使うというのは結構アリなのだ。みんなそれほど我を通す奴らでもなく、結局すんなりFreeze Moonに決まった。こういった打ち合わせもバンド活動の一部として楽しかった。

バンドの打ち合わせ。1年生同士だから気兼ねない。

もう一つのイングヴェイCryingバンドの方はオイラの自己満足的方向性が強く、バンドの一体感というのはまだ経験できていなかったが、このFreeze Moonの方ではメンバー全員が同学年で気兼ねがないし、初心者も多いので和気あいあいと楽しく活動できた。本物(BOOWYのことね)は4人編成だが、こちらはギターとキーボードが多い分、一人ひとりの手数で賄えない部分も何とかなる。逆に、曲によってはあるパートがやることがない、何をやっていいかわからないという事態もあったが、それがバンド全体でアレンジを考えるという流れを生むこともあって初心者ながらイイゾイイゾとほくそえんでいた。やった曲は・・・

B・BLUE

Marionette

Beat Sweet

Cloudy Heart

わがままジュリエット

・・・ほかにもあったと思うが、こんなところ。オイラ達Freeze Moonは曲によっては自前のアレンジを加えたりもしていて、単なるコピーだけでなかった。初心者バンドとしては中々抜きんでていたと今でも思う。

K-ONでは夏の合宿があった。ユイちゃんたちの方のK-ONと違いおいらたちは超真面目に夜中までバリバリ練習した。合宿の最終日にバンドごとの発表をやったが、Freeze MoonもそこでMarionetteを披露。そして秋の学園祭にも出演、無事成功できた。今思えば、先のレポートのイングヴェイバンドはオイラだけが延々ソロをとっていてバンドっぽくなかった。もちろん協力してくれたメンバーはオイラの引立てに回ってくれていたわけなので悪いわけではないが、より純粋なバンド経験としてはFreeze Moonの方が最初といえるかもしれない。

初心者同士でもバンド感はある!

初心者同士でもバンド感はある!

Freeze Moon活動中、店長君が選任ボーカルを務めることに先輩から少しおとがめがあった。Freeze Moonは秋の学園祭のライブに出演すべく活動していたが、その学園祭に店長君は全部で3つバンドを掛け持ちしていた。ちなみにT大は理系の大学でどの科も夕方までみっちり授業、実験が入っていてそうそう暇があるわけではない。初心者で掛け持ち3つで、しかも一つは自分のパートではなくボーカルであることが当時の幹部の一人には「?」だったわけだ。だが、店長君は見事学園祭3バンド掛け持ちをこなした。しかもどれもなかなかの完成度の演奏だった。たしか、オイラとやったFreeze MoonとAM101の他のもう一晩度はZIGGYのコピバンで、決して難しい曲をやったわけではないがベースだけでなくコーラスもこなしていたしね。さらに彼はデニーズで深夜皿洗いのバイトもこなしていたと思う。やろうと思えばできるのだ。そういうテンションで臨めばできるのだ。

その後店長君はさらにコーラスに磨きをかけつつベーステクも驚くほど上達する。もともと才能があったのかもしれないが、それ以上に一生懸命練習していた。努力のたまものというやつだ。Yahoo知恵袋で「Fが押さえられません。才能がないのでしょうか?」とか質問している少年に見習っていただきたい。何を隠そうオイラもひそかにバンドという事を考えるとき、店長君の努力の様子や上達ぶりに奮起させられたものである。

 

1年の学園祭終了と同時にこのFreeze Moonもヒトマズ終了となった。

オイラ達の世代は高校生くらいでまずBOOWYやBlue Heartsなんかのコピーでバンドデビューすることが多かった。オイラは高校時代はギターにはまってメタル系のギタリストの練習をしていたがバンドはやっていなかったので、少し遅れて大学でバンドを始めたとき改めてBOOWYをやりたいと思った。現在も活躍する布袋寅泰さんのギターはロックの基本エッセンスがたくさん詰まっていたし、バンドとしての完成度を意識しやすい楽曲でこの時期にBOOWYバンドができたのはとてもプラスになった。もしこれをスルーして大好きなイングヴェイなんかに向かっていたらその後のK-ONではあまり楽しく活動できなかったかもしれないと本気で思っている。

Freeze Moonはこれで活動終了したが、2年後の夏合宿の企画バンドで、オイラと店長君、そしてドラムのチェッカル君(チェッカーズが好きなのでこのあだ名だった。)の3ピースで再結成したことがあった。3ピースというバンドとしては一番シンプルでありつつ、技量も要求されるスタイルで、Liar GirlとMemoryという曲をやった。オリジナルのLiar Girlの最初にはシンセのシーケンスが入っていてそれにディストーションギターのリフがかぶさるアレンジなのだが、オイラはBOSSのDelayのHold機能を使って再現した。店長君はベースを弾きつつリードボーカルも取って見せた。この再結成は、メンバーが半分だったのでFreeze Half Moonと名乗った。3ピースバンド初体験だった。店長君もオイラも挑戦的な試みだったが、こういう過程があってプレイヤーとしての進歩につながったと思っている。

これの「Hold」は今でいうルーパーのような機能。時間はチョー短いけど・・・16分音符4つで一組のフレーズの繰り返しだったので、そのフレーズをギターで一回弾いて、あとはこの機能でリピートさせた。店舗に合わせるのがムズイ。

これの「Hold」は今でいうルーパーのような機能。時間はチョー短いけど・・・16分音符4つで一拍一組のフレーズの繰り返しだったので、そのフレーズをギターで一回弾いて、あとはこの機能でリピートさせた。テンポに合わせるのがムズイ。

オイラ達の軽音部はバンド活動以外にライブの準備や裏方をやる仕事をチームに分かれそれぞれ担当した。これが結構すごくて、チームによっては他の大学の学園祭のサポートなんかも請け負うこともあった。チームは次の通りに分かれていた。

  • PA・・・ライブでの全他のサウンドづくりから、練習場所の機材整備などを行う。
  • 照明・・・ライブでの照明の準備、操作。
  • 喫茶・・・ライブでのお客さんへの軽飲食の提供、リハーサルでのお茶の手配など。
  • 宣伝・・・文字通り宣伝部隊。
  • 内装・・・学園祭などのライブ会場の設営。室内部隊。
  • 外装・・・学園祭などのライブ会場の設営。室外部隊。

文字にしてしまうと簡単そうだが、実際はそうではなかった。PAで使用していた機材はプロのPA屋さんから払い下げたものだったし、足元のモニタースピーカーやシールドなんかは自作してしまう。照明も出演バンドの要求の通り曲中の決まった箇所でのスポットや、背景色など曲の雰囲気に合わせて、各バンドが照明部隊に注文する。しかも照明機材も自作。喫茶は誰でも出来そうに見えるがこれも違う。メニューが豊富でそこらのライブハウスよりも充実、しかもお手頃価格。主に女子が担当していたが、彼女たちがいたからこそライブも成功を収めてきた。宣伝だって負けていない。ライブのパンフは専門業者に外注することもあったし、看板作りはおてのもの。

で、オイラは「内装」というグループに属していた。もう一つ外装というチームもあるが、基本的に室外の装飾を2チームでやっていた。要は大工仕事であった。内装チームの真骨頂は毎年学内のある建物(小さな体育館のような建物)の内装をガラッと変えてライブハウスに改造すること。単にステージを作るだけでなく、喫茶チームが給仕をするスペース、照明、PAの担当者が機材をコントロールする場所、そして出演者の控え所も作った。マジですごかった。写真で見せたいが、生憎残っていないので、今度もってそうな奴に提供を依頼しよう。

改めて思い返すと、バンドの部活ではあるが、基本的にすべて自前で何とかしてしまうというアグレッシブでやりがいのある集団だった。全体としてもその辺のライブハウスよりもずっと完成度の高い仕事をしていて、オイラ達が幹部になるくらいには他大学と合同で野外ライブイベントも企画して成功させた。もちろん、すべて自前だ。そんな中でオイラは「内装」の仕事をしていたわけだが、今ギターショップ開業に向けて自分で内装をやっているのもその流れ・・・かもしれない。ライブステージの後ろにはベニヤで壁を作ってそこに「K-ON」と入れていたのをよく覚えているなぁ。

今日「K-ON」といえば、ユイちゃんとかムギちゃんとかが出てくるアレだが、オイラ達のK-ONはもっとアグレッシブな活動を行っていたのだった。

ちなみにオイラは5年くらい前、名古屋にいた頃に組んでいたバンドのベーシストにユイちゃんとかムギちゃんとかが出てくる方の「K-ON」をよく勧められた。しばらくは「ふーん」と受け流していたのだが、ある時はまってネットの動画で見て一気に全部見た。リアルでバンドやっている人が見ると「お!?」と思うシーンが結構あって楽しませてもらった。かび臭いSGを売ったらヴィンテージもんで買取り価格50万で指板がハカランダとか、オクターブピッチがどーこーとか、アンプからシールド抜くときの注意とか、心当たりがある話がちょくちょく入っていて思わずニヤリとさせられた。でも、あんまり練習してないのに、いきなりオリジナル曲やるし、うまくなりすぎな気もする。漫画の話だからそんなリアルにツッコミのは無粋だけどね。

しかし、この漫画のおかげでバンド人口が一時増えたらしい。良いことです。ムスタングが以前より人気が出ているのもそうだ。オイラの世代だとムスタングといえばCharさんだが、最近はあずにゃんだとかAKBに誰それとか・・・でも、(アニメのほうの)K-ONを見て初心者がいきなりGibsonのトラメのレスポールを買ったりすることもあるって話を聞いたが、TOKAIラブロックで10代、20代を過ごしたオイラとしてはそこだけは納得いかんぞ。最初はそれなりのものにしようぜ、初心者諸君!

1992年4月、T大学に入学したオイラは迷う事もなく、入学式のその日に軽音楽部K-ONに入部した。

入部の時のエピソードは前回の話だが、その前に一つ付け加えておきたい。特異なキャラで入部を決めたオイラだったが、同じ日に似たような形で入部したツワモノがもう一人いた。弾き語り野郎のダンキチ君だ。オイラが(新入部員勧誘の会場で)アコギでインギーを弾きまくっているとそこへ目つきの鋭い男が現れた。そして彼もアコギを手に取りオモムロにコードをじゃかじゃか引き出し・・・いや弾きまくりやがったのであった。コードvs単音速弾きフレーズ(オイラのことね)では音量的に分が悪いオイラだったが負けずにメタリカのリフで応戦する(もちろんアコギで)。単音ではあるが、低音弦でバチバチ弾くスラッシュメタルのリフはコードに負けない迫力があるのだ。(もちろんアコギで)

・・・そして戦いの末、お互いを認め合いオイラと彼はダチとなったのであった。その彼がダンキチ君である。彼は弾き語りをやるつもりで入部してきたのだが、のちにオイラとアコギユニットをやったりした。

 

さて、今日の前置きはここまで。

 

入部を決めたオイラだったが、まだエレキが手元にない。高校時代の愛機Tokaiラブロックは高校のT先輩に売ってしまったし・・・だが、オイラにはわかっていた。おいらにはラブロック↓しかないのだ。

愛機ラブロックモデル!

意を決してT先輩に電話を入れる。

「久しぶりっス!オイラっス!軽音に入ったんで、エレキ必要っス!ちょっとラブロック使いたいっス!持ってっていいっすか?」

「取りにおいで~」

というわけであっさり交渉成立。すぐに取りに行ったさ。

そして無事に我が元へ帰ってきたラブロックはホコリをかぶり、弦もサビサビだった。すぐに古い弦を外し、分解、隅々まで磨き上げた。音を出してみると何も変わっていない。オイラのラブロックのままだ。これでバンドができるゼ!

このラブロックは「一年間の禁ギター生活」の話の最後にも出ているが、これが手元に戻ってきた時の話だ。ちなみに、もともとT先輩に売ったギターだが、返してもらった際に返金はしなかった。そのままもう25年くらいたっているので時効だ。…という事いしている。ゴメンナサイ、T先輩。

 

さて攻撃態勢も整った。T大学K-ONは大学1年から4年、一部5,6年生で当時総勢30人位いただろうか。入部後部員同士自由にバンドを組んで活動するというスタイルだった。専用の防音練習室もあり、大学のサークルとしては非常に豪華なPA機材もそろっている。さっそくオイラも念願のバンドを組んだ。ドラムに2年生のW先輩、もう一人のギターに3年生のM姉さん、キーボードに一年のO、ベースM、そしてオイラである。ちなみにMは現在国内有名楽器店のY店の店長である。だから今後のこのブログ内では彼は「店長」と書こう。アルファベットばっかだとわけがわからんもんね。店長はこの頃はまだ初心者だった。そういえばキーボードのOも初心者だったな。

1年生は7月に予定されているサマーコンサートでデビューすることになっている。今回のバンドもサマーコンサート目指してのバンドだ。オイラが集めたメンバーだが、先輩は「1年をデビューさせる」という気遣いでの参加の面もあったと思う。当時は口に出さなかったけど。今更だがM姉さん、W先輩ありがとう。

曲はイングヴェイの「Crying」というインストだ。アルバムTrilogyに入っている。

これだ↓

 

ボーカルがいないからインストなのではなく、インストをやりたかったから(もっと正確にいえばギターを弾きまくりたいから)ボーカルなしの編成なのであった。この曲はベースとキーボードはシンプルなので、初心者の二人にもやりやすかったと思う。というか、イングヴェイの曲ってギターばかり難しくてほかのパートが結構シンプルだったりするな。

この曲は前半がアコギのソロ、後半がエレキのソロで前半は当時愛用していたモーリスのエレアコ「トルネード」を使った。エレキはラブロックだが、曲の前半は背中に回してある。イングヴェイと同じだ。そして前半のアコギパートだが、立った状態で右足を台に乗せ、その右足の太ももの上にアコギを載せて弾くというスタイルで臨んだ。文章だと分かりにくいが、あれだ、「潮風が俺を呼んでいる」的な恰好だね。よけいわからないか・・・

↓このバンドで使ったアコギ(と同型のギター。拾った画像だけど・・・)

モーリス トルネード

モーリス トルネード

 

で、アコギのパートの最後がちょうどコードDなのでDの和音をハーモニクスで伸ばして弦に触れないようにしてアコギをスタンドに立てる。そしてすかさず背中のラブロックを前に回し、エレキソロに突入・・・とこういう作戦だった。

これで大体脳内での準備は整った(実は後半のエレキのソロは当時のオイラには難しすぎて弾き切れていない部分が結構あったが当時はあんまり気にしていなかった)。リードギター(オイラのことね)以外のパートは淡々とした演奏なので弾けないという部分はないし、サマーコンサートがうまくいくかどうかはオイラ次第。

2つ問題が残っている。

まず一つ目はアンプだ。使うアンプの歪は当時のオイラには物足りなかった。フェンダーの大きなトランジスタアンプだ。

↓こんな感じのアンプ(ゴメンナサイこれも拾った画像です)

fender昔アンプ

今考えると、歪でごまかさなきゃならないような腕前だったわけだが、当時はそんなことも気づかず「このアンプの音イマイチだな」とか思ったのであった。

そこでBOSSの名器SD-1が登場する。こいつをブースターにしてゲインアップ。これで音はOKとした。

もう一つの問題だが、それは「アレンジ」だ。この「Crying」という曲、原曲はFadeOutなのでエンディングをどうするかしばし検討し、最後のフレーズの後、曲のキーであるG音を伸ばし、かっこよくフィードバックさせてから、ボリュームオフで、全パート同時に終了という感じにした。SD-1で少し歪を足せば音を伸ばしてフィードバックさせることができた。(ここらあたりの話は「思い出:初代ゲインブースターSD-1」でも述べてるので、見てチョーだい)

という感じで構想が決まり、実際にバンド練習に入った。メンバーはアコギとエレキをどう持ちの帰るのかを心配していたが、練習でオイラのアイディアをやって見せて納得。「なるほど」という反応が得られた。うししし。してやったり。ちなみに右足を載せる台はパイプいすの背もたれがないやつを拾ってきて使った。こいつを「足台」と名付けて学際まで使用した。

↓こんなの。

「足台」

「足台」

他のパートも含め、バンド練習ではそれほど課題は出なかった。そして本番もつつがなく終えてしまった。オイラにとってもバンドは初めてだったのだが、正直なところあまりバンドという感じではなかった。そのへんに満たされない何かを感じてはいたが、とりあえずバンドでギターが弾けるという環境を手に入れた喜びの方が上で満足していた。

今考えると、「Crying」は「各パートのからみ」のない曲で、カラオケ上でギターを弾くみたいな感じだった。だからバンドという感じが少なかったのだろう。今考えるとお粗末なデビューだが、当時はただただギターを弾きたかったオイラにとってそれはそれは幸せな時間であったでまあ良いのである。

デビュー後も同じバンドに1年生のボーカリストのKを加えて秋の学際に向けて活動した。バンド名は「AM101」(アマショッカー101)と命名されたが、なんでそういう名前になったのかは覚えていない・・・。

つづく。

 

1992年3月、約1年間の禁ギター生活を経て無事大学に合格した。理系のT大学だ。東大ではない。念のため。

入学式

入学式の日。式の様子は全然覚えいていないが、会場は大学の敷地内にある体育館だった。式を終えて体育館を出ると早くも部活の勧誘合戦をしている。大学って感じだ。

オイラは1年浪人していたわけだが、実は高校時代のクラスメイトの女子二人が先にこのT大に入学していた。そのうちの一人に声を掛けられた。「あれぇ○○君、久しぶり。おめでと。どこの科に入ったの?」とかそんな感じの会話。推薦で入学した子で、別に仲がよかったわけでもないけど、まぁ顔見知りなので、声を掛けてくれたのだろう。この子をA子としよう。実際えー子(良い子)だったしね。A子は薬学部で、テニス部に入っているらしく、「良かったらテニス部に!」と誘われた。もちろんオイラがテニス部に入ることはないと知っての社交辞令だ。しかし久しぶりに会った元クラスメイト、仲がよかったわけでもないのになんだか嬉しい気分だ。しかしそこへ水を差す曲者が現れた。もう一人、クラスメイトだった女子のB子だ。オイラはこのB子が苦手であった。「悪い人じゃないけどネ」とかフォローの常套句も出せないほど、きつーい性格で高校時代シャイでナイーブだったオイラはB子の半径2m以内に入らないことと、会話をしないことを高校時代の自主ルールに定めていたほどである。無論B子もオイラ嫌っている。そしてB子とA子は同じ村出身で、子供のころから一緒で大学まで一緒というマンガみたいな関係である。トーゼン大学での部活も一緒だったB子はA子に近づき「(オイラが)本当に入部したらどうすんの?」と耳打ちしている。そういうことは聞こえないようにやっていただきたい。

と、そんな感じで知り合いにと話したので、入学初日の緊張も薄れる。入る部活は心に決めている。A子とB子はこの思い出話ではもう登場しないキャストだ。行数さき過ぎだったゴメン。

受験生の頃、自分が受ける大学にバンドサークルがあるかどうかはトーゼンすべてチェックしていた。そして目線の先に「軽音楽部新入部員募集」が目に入る。早速その看板の案内の通りに進むと長机があり、軽音楽部の部員らしき数名がギターを弾きつつワイワイやっている。TVもあって何故か尾崎豊のPVが流れていた。そしてそこの先輩に声をかけた。「軽音楽部ここですか?」

応対してくれたのはその年の部長を務めていたI先輩だ。ちょうど尾崎のPVが流れていたのでまずは軽くジャブとして高校時代にアコーステイックギター部に所属していて尾崎の弾き語りもやったこと、バンドでギターを弾くことに興味があることを話した。いきなり「入部したい」と切り出しても良かったのだが、ちょっとじらして見せるのが部活見学をする新入生の常識なのだった。そしてとどめの瞬間が来る。「ちょっと弾いてみてよ」とアコギを手渡される。そこでオイラはイングヴェイのI’ll See The Light,Tonightのソロ前のキメフレーズを弾いて見せた。もちろんインギーと同じ速さだ。アコギでだ。

尾崎の弾き語りをしていた話を先にしてたこともあったと思うが、新入生がいきなりな借りたギターで弾きまくりするのにI先輩は意表を突かれたみたいだった。

「え~ゼンゼン弾けんじゃん!なんかショック~。もうこれは軽音に入るしかないでしょ!」そしてここでオイラももったいつけるのはやめた。「ええ、入りたいです!」「一名様ごあんなーい!」!!!・・・そしてオイラはしばらくその場(新入生勧誘の場所)に居座ってギターは借りっぱなしでインギーのEvil Eyeなどを弾きまくたのだった。

ギターウサギ

 

そしてオイラの軽音部ライフがはじまる・・・!

 

ところで「K-ON」はパクリではないのかと思われてしまうかもしれない。でも、違うのですよ。20年以上前、すでにわが母校の軽音楽部は「K-ON」を名乗っていたのだ。某アニメで有名な表記だが、オイラタチが先ッス。

[おまけ:後日のお話]

5年くらい前に久しぶりに軽音楽部の仲間の飲み会が会ってI先輩と再会した際、オイラの入部時のことを語っていた。

「もうおれどうしようかと思ったよ。いきなりイングヴェイ弾き出すしさ。で、こいつは軽音に入れなきゃならんと思ってゴーインに誘った訳。」

(I先輩談 酒が入っていたので話の内容は正確性に欠く場合があります。)

とのことだった。我ながらアホというか失礼というか、ヘンな奴だったなぁと思うが、それで今まで印象に残ってるのだし、ギターに関しては常人の数倍のめり込んでいたオイラだからその路線のヘンな奴と思われるのは光栄なのであった。でもI先輩、オイラは誘われたからは言ったんじゃなくて、最初から入るつもりだったのですよ。

 

この飲み会でI先輩はこんなことも言っていた。

「実は俺、後で後悔したんだよ。オマエはきっとプロを目指していて、俺らの遊びサークルに入れちまったのはお前がプロを目指すことの邪魔になってたんじゃないかって」

・・・意外な言葉であった。オイラとしてはとても充実した音楽&ギターライフをT大軽音楽部に入ったことで得られたと思っているし、実際4年間で大分(プレイヤーとして)成長した。I先輩には感謝しているし、他の仲間も同様だ。軽音なくして今のオイラはないのである。それに、オイラはプロを目指していたわけではない。誓って言うがプロを目指したこともない。プロ並みに弾けるようになりたいとは今でも思っているが、ミュージシャンを仕事にしようと思ったことは一度もない。仕事としてはミュージシャンよりも漁師の方が魅力的だと思ってたしね(実際水産大学の受験を考えていた)。ただ、やはり突飛な行動だったし、部活のメンバーの中で一番部室に入り浸ってギターを弾いていたのはオイラだからそう勘違いされたのかもしれない。誤解は解いたがずいぶん長いこと誤解させていたことは申し訳ない。一方でそこまで「ギターにのめり込んでいるヤツ」と思われていたことはさらにさらに光栄なことである。

そんなオイラがギターショップ開業なんてI先輩はどう思うだろうか。

落ち着いたらまた一緒に飲みたいな。

飲み会