「ギターやバンド活動に関する思い出」カテゴリーのアーカイブ

K-ONに入部してすぐに、帰り道が同じ方向の「店長君」(現在某楽器店の店長なのでこう呼ぶ)とBOOWYのコピーバンドを企画した。店長君はオイラのイングヴェイの曲をやるバンドではベース担当だったが、このバンドではボーカルを担当した。他のメンバーはもう一人のギターとベース、キーボード、ドラムすべて1年生だけで集めた。中には高校時代少しバンドを経験している者もいたが、おいらも含め全員初心者の集まりだった。

まずはバンド名を決めた。オイラが提案したのは「Freeze Moon」。オイラが大学に入学した年に亡くなった尾崎豊の曲から拝借した名前。他にも「A Hard Days Night」という案も出ていたのを覚えている。今考えるとそっちもええなぁ。・・・バンド名って結構真面目に考えると難しいけど、曲名を使うというのは結構アリなのだ。みんなそれほど我を通す奴らでもなく、結局すんなりFreeze Moonに決まった。こういった打ち合わせもバンド活動の一部として楽しかった。

バンドの打ち合わせ。1年生同士だから気兼ねない。

もう一つのイングヴェイCryingバンドの方はオイラの自己満足的方向性が強く、バンドの一体感というのはまだ経験できていなかったが、このFreeze Moonの方ではメンバー全員が同学年で気兼ねがないし、初心者も多いので和気あいあいと楽しく活動できた。本物(BOOWYのことね)は4人編成だが、こちらはギターとキーボードが多い分、一人ひとりの手数で賄えない部分も何とかなる。逆に、曲によってはあるパートがやることがない、何をやっていいかわからないという事態もあったが、それがバンド全体でアレンジを考えるという流れを生むこともあって初心者ながらイイゾイイゾとほくそえんでいた。やった曲は・・・

B・BLUE

Marionette

Beat Sweet

Cloudy Heart

わがままジュリエット

・・・ほかにもあったと思うが、こんなところ。オイラ達Freeze Moonは曲によっては自前のアレンジを加えたりもしていて、単なるコピーだけでなかった。初心者バンドとしては中々抜きんでていたと今でも思う。

K-ONでは夏の合宿があった。ユイちゃんたちの方のK-ONと違いおいらたちは超真面目に夜中までバリバリ練習した。合宿の最終日にバンドごとの発表をやったが、Freeze MoonもそこでMarionetteを披露。そして秋の学園祭にも出演、無事成功できた。今思えば、先のレポートのイングヴェイバンドはオイラだけが延々ソロをとっていてバンドっぽくなかった。もちろん協力してくれたメンバーはオイラの引立てに回ってくれていたわけなので悪いわけではないが、より純粋なバンド経験としてはFreeze Moonの方が最初といえるかもしれない。

初心者同士でもバンド感はある!

初心者同士でもバンド感はある!

Freeze Moon活動中、店長君が選任ボーカルを務めることに先輩から少しおとがめがあった。Freeze Moonは秋の学園祭のライブに出演すべく活動していたが、その学園祭に店長君は全部で3つバンドを掛け持ちしていた。ちなみにT大は理系の大学でどの科も夕方までみっちり授業、実験が入っていてそうそう暇があるわけではない。初心者で掛け持ち3つで、しかも一つは自分のパートではなくボーカルであることが当時の幹部の一人には「?」だったわけだ。だが、店長君は見事学園祭3バンド掛け持ちをこなした。しかもどれもなかなかの完成度の演奏だった。たしか、オイラとやったFreeze MoonとAM101の他のもう一晩度はZIGGYのコピバンで、決して難しい曲をやったわけではないがベースだけでなくコーラスもこなしていたしね。さらに彼はデニーズで深夜皿洗いのバイトもこなしていたと思う。やろうと思えばできるのだ。そういうテンションで臨めばできるのだ。

その後店長君はさらにコーラスに磨きをかけつつベーステクも驚くほど上達する。もともと才能があったのかもしれないが、それ以上に一生懸命練習していた。努力のたまものというやつだ。Yahoo知恵袋で「Fが押さえられません。才能がないのでしょうか?」とか質問している少年に見習っていただきたい。何を隠そうオイラもひそかにバンドという事を考えるとき、店長君の努力の様子や上達ぶりに奮起させられたものである。

 

1年の学園祭終了と同時にこのFreeze Moonもヒトマズ終了となった。

オイラ達の世代は高校生くらいでまずBOOWYやBlue Heartsなんかのコピーでバンドデビューすることが多かった。オイラは高校時代はギターにはまってメタル系のギタリストの練習をしていたがバンドはやっていなかったので、少し遅れて大学でバンドを始めたとき改めてBOOWYをやりたいと思った。現在も活躍する布袋寅泰さんのギターはロックの基本エッセンスがたくさん詰まっていたし、バンドとしての完成度を意識しやすい楽曲でこの時期にBOOWYバンドができたのはとてもプラスになった。もしこれをスルーして大好きなイングヴェイなんかに向かっていたらその後のK-ONではあまり楽しく活動できなかったかもしれないと本気で思っている。

Freeze Moonはこれで活動終了したが、2年後の夏合宿の企画バンドで、オイラと店長君、そしてドラムのチェッカル君(チェッカーズが好きなのでこのあだ名だった。)の3ピースで再結成したことがあった。3ピースというバンドとしては一番シンプルでありつつ、技量も要求されるスタイルで、Liar GirlとMemoryという曲をやった。オリジナルのLiar Girlの最初にはシンセのシーケンスが入っていてそれにディストーションギターのリフがかぶさるアレンジなのだが、オイラはBOSSのDelayのHold機能を使って再現した。店長君はベースを弾きつつリードボーカルも取って見せた。この再結成は、メンバーが半分だったのでFreeze Half Moonと名乗った。3ピースバンド初体験だった。店長君もオイラも挑戦的な試みだったが、こういう過程があってプレイヤーとしての進歩につながったと思っている。

これの「Hold」は今でいうルーパーのような機能。時間はチョー短いけど・・・16分音符4つで一組のフレーズの繰り返しだったので、そのフレーズをギターで一回弾いて、あとはこの機能でリピートさせた。店舗に合わせるのがムズイ。

これの「Hold」は今でいうルーパーのような機能。時間はチョー短いけど・・・16分音符4つで一拍一組のフレーズの繰り返しだったので、そのフレーズをギターで一回弾いて、あとはこの機能でリピートさせた。テンポに合わせるのがムズイ。

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オイラ達の軽音部はバンド活動以外にライブの準備や裏方をやる仕事をチームに分かれそれぞれ担当した。これが結構すごくて、チームによっては他の大学の学園祭のサポートなんかも請け負うこともあった。チームは次の通りに分かれていた。

  • PA・・・ライブでの全他のサウンドづくりから、練習場所の機材整備などを行う。
  • 照明・・・ライブでの照明の準備、操作。
  • 喫茶・・・ライブでのお客さんへの軽飲食の提供、リハーサルでのお茶の手配など。
  • 宣伝・・・文字通り宣伝部隊。
  • 内装・・・学園祭などのライブ会場の設営。室内部隊。
  • 外装・・・学園祭などのライブ会場の設営。室外部隊。

文字にしてしまうと簡単そうだが、実際はそうではなかった。PAで使用していた機材はプロのPA屋さんから払い下げたものだったし、足元のモニタースピーカーやシールドなんかは自作してしまう。照明も出演バンドの要求の通り曲中の決まった箇所でのスポットや、背景色など曲の雰囲気に合わせて、各バンドが照明部隊に注文する。しかも照明機材も自作。喫茶は誰でも出来そうに見えるがこれも違う。メニューが豊富でそこらのライブハウスよりも充実、しかもお手頃価格。主に女子が担当していたが、彼女たちがいたからこそライブも成功を収めてきた。宣伝だって負けていない。ライブのパンフは専門業者に外注することもあったし、看板作りはおてのもの。

で、オイラは「内装」というグループに属していた。もう一つ外装というチームもあるが、基本的に室外の装飾を2チームでやっていた。要は大工仕事であった。内装チームの真骨頂は毎年学内のある建物(小さな体育館のような建物)の内装をガラッと変えてライブハウスに改造すること。単にステージを作るだけでなく、喫茶チームが給仕をするスペース、照明、PAの担当者が機材をコントロールする場所、そして出演者の控え所も作った。マジですごかった。写真で見せたいが、生憎残っていないので、今度もってそうな奴に提供を依頼しよう。

改めて思い返すと、バンドの部活ではあるが、基本的にすべて自前で何とかしてしまうというアグレッシブでやりがいのある集団だった。全体としてもその辺のライブハウスよりもずっと完成度の高い仕事をしていて、オイラ達が幹部になるくらいには他大学と合同で野外ライブイベントも企画して成功させた。もちろん、すべて自前だ。そんな中でオイラは「内装」の仕事をしていたわけだが、今ギターショップ開業に向けて自分で内装をやっているのもその流れ・・・かもしれない。ライブステージの後ろにはベニヤで壁を作ってそこに「K-ON」と入れていたのをよく覚えているなぁ。

今日「K-ON」といえば、ユイちゃんとかムギちゃんとかが出てくるアレだが、オイラ達のK-ONはもっとアグレッシブな活動を行っていたのだった。

ちなみにオイラは5年くらい前、名古屋にいた頃に組んでいたバンドのベーシストにユイちゃんとかムギちゃんとかが出てくる方の「K-ON」をよく勧められた。しばらくは「ふーん」と受け流していたのだが、ある時はまってネットの動画で見て一気に全部見た。リアルでバンドやっている人が見ると「お!?」と思うシーンが結構あって楽しませてもらった。かび臭いSGを売ったらヴィンテージもんで買取り価格50万で指板がハカランダとか、オクターブピッチがどーこーとか、アンプからシールド抜くときの注意とか、心当たりがある話がちょくちょく入っていて思わずニヤリとさせられた。でも、あんまり練習してないのに、いきなりオリジナル曲やるし、うまくなりすぎな気もする。漫画の話だからそんなリアルにツッコミのは無粋だけどね。

しかし、この漫画のおかげでバンド人口が一時増えたらしい。良いことです。ムスタングが以前より人気が出ているのもそうだ。オイラの世代だとムスタングといえばCharさんだが、最近はあずにゃんだとかAKBに誰それとか・・・でも、(アニメのほうの)K-ONを見て初心者がいきなりGibsonのトラメのレスポールを買ったりすることもあるって話を聞いたが、TOKAIラブロックで10代、20代を過ごしたオイラとしてはそこだけは納得いかんぞ。最初はそれなりのものにしようぜ、初心者諸君!

1992年4月、T大学に入学したオイラは迷う事もなく、入学式のその日に軽音楽部K-ONに入部した。

入部の時のエピソードは前回の話だが、その前に一つ付け加えておきたい。特異なキャラで入部を決めたオイラだったが、同じ日に似たような形で入部したツワモノがもう一人いた。弾き語り野郎のダンキチ君だ。オイラが(新入部員勧誘の会場で)アコギでインギーを弾きまくっているとそこへ目つきの鋭い男が現れた。そして彼もアコギを手に取りオモムロにコードをじゃかじゃか引き出し・・・いや弾きまくりやがったのであった。コードvs単音速弾きフレーズ(オイラのことね)では音量的に分が悪いオイラだったが負けずにメタリカのリフで応戦する(もちろんアコギで)。単音ではあるが、低音弦でバチバチ弾くスラッシュメタルのリフはコードに負けない迫力があるのだ。(もちろんアコギで)

・・・そして戦いの末、お互いを認め合いオイラと彼はダチとなったのであった。その彼がダンキチ君である。彼は弾き語りをやるつもりで入部してきたのだが、のちにオイラとアコギユニットをやったりした。

 

さて、今日の前置きはここまで。

 

入部を決めたオイラだったが、まだエレキが手元にない。高校時代の愛機Tokaiラブロックは高校のT先輩に売ってしまったし・・・だが、オイラにはわかっていた。おいらにはラブロック↓しかないのだ。

愛機ラブロックモデル!

意を決してT先輩に電話を入れる。

「久しぶりっス!オイラっス!軽音に入ったんで、エレキ必要っス!ちょっとラブロック使いたいっス!持ってっていいっすか?」

「取りにおいで~」

というわけであっさり交渉成立。すぐに取りに行ったさ。

そして無事に我が元へ帰ってきたラブロックはホコリをかぶり、弦もサビサビだった。すぐに古い弦を外し、分解、隅々まで磨き上げた。音を出してみると何も変わっていない。オイラのラブロックのままだ。これでバンドができるゼ!

このラブロックは「一年間の禁ギター生活」の話の最後にも出ているが、これが手元に戻ってきた時の話だ。ちなみに、もともとT先輩に売ったギターだが、返してもらった際に返金はしなかった。そのままもう25年くらいたっているので時効だ。…という事いしている。ゴメンナサイ、T先輩。

 

さて攻撃態勢も整った。T大学K-ONは大学1年から4年、一部5,6年生で当時総勢30人位いただろうか。入部後部員同士自由にバンドを組んで活動するというスタイルだった。専用の防音練習室もあり、大学のサークルとしては非常に豪華なPA機材もそろっている。さっそくオイラも念願のバンドを組んだ。ドラムに2年生のW先輩、もう一人のギターに3年生のM姉さん、キーボードに一年のO、ベースM、そしてオイラである。ちなみにMは現在国内有名楽器店のY店の店長である。だから今後のこのブログ内では彼は「店長」と書こう。アルファベットばっかだとわけがわからんもんね。店長はこの頃はまだ初心者だった。そういえばキーボードのOも初心者だったな。

1年生は7月に予定されているサマーコンサートでデビューすることになっている。今回のバンドもサマーコンサート目指してのバンドだ。オイラが集めたメンバーだが、先輩は「1年をデビューさせる」という気遣いでの参加の面もあったと思う。当時は口に出さなかったけど。今更だがM姉さん、W先輩ありがとう。

曲はイングヴェイの「Crying」というインストだ。アルバムTrilogyに入っている。

これだ↓

 

ボーカルがいないからインストなのではなく、インストをやりたかったから(もっと正確にいえばギターを弾きまくりたいから)ボーカルなしの編成なのであった。この曲はベースとキーボードはシンプルなので、初心者の二人にもやりやすかったと思う。というか、イングヴェイの曲ってギターばかり難しくてほかのパートが結構シンプルだったりするな。

この曲は前半がアコギのソロ、後半がエレキのソロで前半は当時愛用していたモーリスのエレアコ「トルネード」を使った。エレキはラブロックだが、曲の前半は背中に回してある。イングヴェイと同じだ。そして前半のアコギパートだが、立った状態で右足を台に乗せ、その右足の太ももの上にアコギを載せて弾くというスタイルで臨んだ。文章だと分かりにくいが、あれだ、「潮風が俺を呼んでいる」的な恰好だね。よけいわからないか・・・

↓このバンドで使ったアコギ(と同型のギター。拾った画像だけど・・・)

モーリス トルネード

モーリス トルネード

 

で、アコギのパートの最後がちょうどコードDなのでDの和音をハーモニクスで伸ばして弦に触れないようにしてアコギをスタンドに立てる。そしてすかさず背中のラブロックを前に回し、エレキソロに突入・・・とこういう作戦だった。

これで大体脳内での準備は整った(実は後半のエレキのソロは当時のオイラには難しすぎて弾き切れていない部分が結構あったが当時はあんまり気にしていなかった)。リードギター(オイラのことね)以外のパートは淡々とした演奏なので弾けないという部分はないし、サマーコンサートがうまくいくかどうかはオイラ次第。

2つ問題が残っている。

まず一つ目はアンプだ。使うアンプの歪は当時のオイラには物足りなかった。フェンダーの大きなトランジスタアンプだ。

↓こんな感じのアンプ(ゴメンナサイこれも拾った画像です)

fender昔アンプ

今考えると、歪でごまかさなきゃならないような腕前だったわけだが、当時はそんなことも気づかず「このアンプの音イマイチだな」とか思ったのであった。

そこでBOSSの名器SD-1が登場する。こいつをブースターにしてゲインアップ。これで音はOKとした。

もう一つの問題だが、それは「アレンジ」だ。この「Crying」という曲、原曲はFadeOutなのでエンディングをどうするかしばし検討し、最後のフレーズの後、曲のキーであるG音を伸ばし、かっこよくフィードバックさせてから、ボリュームオフで、全パート同時に終了という感じにした。SD-1で少し歪を足せば音を伸ばしてフィードバックさせることができた。(ここらあたりの話は「思い出:初代ゲインブースターSD-1」でも述べてるので、見てチョーだい)

という感じで構想が決まり、実際にバンド練習に入った。メンバーはアコギとエレキをどう持ちの帰るのかを心配していたが、練習でオイラのアイディアをやって見せて納得。「なるほど」という反応が得られた。うししし。してやったり。ちなみに右足を載せる台はパイプいすの背もたれがないやつを拾ってきて使った。こいつを「足台」と名付けて学際まで使用した。

↓こんなの。

「足台」

「足台」

他のパートも含め、バンド練習ではそれほど課題は出なかった。そして本番もつつがなく終えてしまった。オイラにとってもバンドは初めてだったのだが、正直なところあまりバンドという感じではなかった。そのへんに満たされない何かを感じてはいたが、とりあえずバンドでギターが弾けるという環境を手に入れた喜びの方が上で満足していた。

今考えると、「Crying」は「各パートのからみ」のない曲で、カラオケ上でギターを弾くみたいな感じだった。だからバンドという感じが少なかったのだろう。今考えるとお粗末なデビューだが、当時はただただギターを弾きたかったオイラにとってそれはそれは幸せな時間であったでまあ良いのである。

デビュー後も同じバンドに1年生のボーカリストのKを加えて秋の学際に向けて活動した。バンド名は「AM101」(アマショッカー101)と命名されたが、なんでそういう名前になったのかは覚えていない・・・。

つづく。

 

1992年3月、約1年間の禁ギター生活を経て無事大学に合格した。理系のT大学だ。東大ではない。念のため。

入学式

入学式の日。式の様子は全然覚えいていないが、会場は大学の敷地内にある体育館だった。式を終えて体育館を出ると早くも部活の勧誘合戦をしている。大学って感じだ。

オイラは1年浪人していたわけだが、実は高校時代のクラスメイトの女子二人が先にこのT大に入学していた。そのうちの一人に声を掛けられた。「あれぇ○○君、久しぶり。おめでと。どこの科に入ったの?」とかそんな感じの会話。推薦で入学した子で、別に仲がよかったわけでもないけど、まぁ顔見知りなので、声を掛けてくれたのだろう。この子をA子としよう。実際えー子(良い子)だったしね。A子は薬学部で、テニス部に入っているらしく、「良かったらテニス部に!」と誘われた。もちろんオイラがテニス部に入ることはないと知っての社交辞令だ。しかし久しぶりに会った元クラスメイト、仲がよかったわけでもないのになんだか嬉しい気分だ。しかしそこへ水を差す曲者が現れた。もう一人、クラスメイトだった女子のB子だ。オイラはこのB子が苦手であった。「悪い人じゃないけどネ」とかフォローの常套句も出せないほど、きつーい性格で高校時代シャイでナイーブだったオイラはB子の半径2m以内に入らないことと、会話をしないことを高校時代の自主ルールに定めていたほどである。無論B子もオイラ嫌っている。そしてB子とA子は同じ村出身で、子供のころから一緒で大学まで一緒というマンガみたいな関係である。トーゼン大学での部活も一緒だったB子はA子に近づき「(オイラが)本当に入部したらどうすんの?」と耳打ちしている。そういうことは聞こえないようにやっていただきたい。

と、そんな感じで知り合いにと話したので、入学初日の緊張も薄れる。入る部活は心に決めている。A子とB子はこの思い出話ではもう登場しないキャストだ。行数さき過ぎだったゴメン。

受験生の頃、自分が受ける大学にバンドサークルがあるかどうかはトーゼンすべてチェックしていた。そして目線の先に「軽音楽部新入部員募集」が目に入る。早速その看板の案内の通りに進むと長机があり、軽音楽部の部員らしき数名がギターを弾きつつワイワイやっている。TVもあって何故か尾崎豊のPVが流れていた。そしてそこの先輩に声をかけた。「軽音楽部ここですか?」

応対してくれたのはその年の部長を務めていたI先輩だ。ちょうど尾崎のPVが流れていたのでまずは軽くジャブとして高校時代にアコーステイックギター部に所属していて尾崎の弾き語りもやったこと、バンドでギターを弾くことに興味があることを話した。いきなり「入部したい」と切り出しても良かったのだが、ちょっとじらして見せるのが部活見学をする新入生の常識なのだった。そしてとどめの瞬間が来る。「ちょっと弾いてみてよ」とアコギを手渡される。そこでオイラはイングヴェイのI’ll See The Light,Tonightのソロ前のキメフレーズを弾いて見せた。もちろんインギーと同じ速さだ。アコギでだ。

尾崎の弾き語りをしていた話を先にしてたこともあったと思うが、新入生がいきなりな借りたギターで弾きまくりするのにI先輩は意表を突かれたみたいだった。

「え~ゼンゼン弾けんじゃん!なんかショック~。もうこれは軽音に入るしかないでしょ!」そしてここでオイラももったいつけるのはやめた。「ええ、入りたいです!」「一名様ごあんなーい!」!!!・・・そしてオイラはしばらくその場(新入生勧誘の場所)に居座ってギターは借りっぱなしでインギーのEvil Eyeなどを弾きまくたのだった。

ギターウサギ

 

そしてオイラの軽音部ライフがはじまる・・・!

 

ところで「K-ON」はパクリではないのかと思われてしまうかもしれない。でも、違うのですよ。20年以上前、すでにわが母校の軽音楽部は「K-ON」を名乗っていたのだ。某アニメで有名な表記だが、オイラタチが先ッス。

[おまけ:後日のお話]

5年くらい前に久しぶりに軽音楽部の仲間の飲み会が会ってI先輩と再会した際、オイラの入部時のことを語っていた。

「もうおれどうしようかと思ったよ。いきなりイングヴェイ弾き出すしさ。で、こいつは軽音に入れなきゃならんと思ってゴーインに誘った訳。」

(I先輩談 酒が入っていたので話の内容は正確性に欠く場合があります。)

とのことだった。我ながらアホというか失礼というか、ヘンな奴だったなぁと思うが、それで今まで印象に残ってるのだし、ギターに関しては常人の数倍のめり込んでいたオイラだからその路線のヘンな奴と思われるのは光栄なのであった。でもI先輩、オイラは誘われたからは言ったんじゃなくて、最初から入るつもりだったのですよ。

 

この飲み会でI先輩はこんなことも言っていた。

「実は俺、後で後悔したんだよ。オマエはきっとプロを目指していて、俺らの遊びサークルに入れちまったのはお前がプロを目指すことの邪魔になってたんじゃないかって」

・・・意外な言葉であった。オイラとしてはとても充実した音楽&ギターライフをT大軽音楽部に入ったことで得られたと思っているし、実際4年間で大分(プレイヤーとして)成長した。I先輩には感謝しているし、他の仲間も同様だ。軽音なくして今のオイラはないのである。それに、オイラはプロを目指していたわけではない。誓って言うがプロを目指したこともない。プロ並みに弾けるようになりたいとは今でも思っているが、ミュージシャンを仕事にしようと思ったことは一度もない。仕事としてはミュージシャンよりも漁師の方が魅力的だと思ってたしね(実際水産大学の受験を考えていた)。ただ、やはり突飛な行動だったし、部活のメンバーの中で一番部室に入り浸ってギターを弾いていたのはオイラだからそう勘違いされたのかもしれない。誤解は解いたがずいぶん長いこと誤解させていたことは申し訳ない。一方でそこまで「ギターにのめり込んでいるヤツ」と思われていたことはさらにさらに光栄なことである。

そんなオイラがギターショップ開業なんてI先輩はどう思うだろうか。

落ち着いたらまた一緒に飲みたいな。

飲み会

 

「一年間の禁ギター生活」は今回でようやく最終回だ。もし受験生ギター小僧やギターギャルがこれを読んでいたら伝えたい。受験のためにギターを封印までするのはカエッテ体に毒だということを。程好く楽しみがないとビョーキになっちゃうぞ。

さて本題に移る。

すべての受験日程を終えたその日、つまりT大の入試のその当日のこと。試験会場を出たオイラは駅までの道を足早に通り過ぎた。そして、家とは違う方向へ向かう電車に飛び乗った。家に帰る前に行かねばならぬ場所があるのだ。

二本の電車を乗り継ぎ、向かうは高校時代に行きつけにしていたC市の楽器屋だ。そう、受験は終わったのだから楽器屋に行ったってOKだ。解禁だ。水道工事のバイト&トーカイちゃんを売った所持金はとっくに尽きていたが、今日のためにバスや電車に乗るべきところを徒歩にしたり、都内の試験の時に昼代を節約したりして、少しだがへそくりを作ってあった。買うものはたった1セットの弦のみ。それ以上の余裕はない(いや、実は計算を間違えていてこの後・・・)。それにとにかく楽器屋の空気を吸いたかったのだ。

楽器屋へ向かう電車の中では「ゴールが見えていたから今日は禁断症状が出なかったのだぁ~」とか一応今日の試験を振り返りつつも、あと少しで愛しのギターちゃんといちゃいちゃできる喜びでいっぱいのオイラは足取りも心も軽かった。

楽器屋に着く。もう何年かぶりのような気分でギターを眺める。これからはバイトして好きな楽器だって買えるし、大学でもギター仲間作るぞと決意を新たにする。

一通り店内を回ると、精神もだいぶ落ち着いた。よし、弦を買って早く家のモーリスに張ってやろう。今日のところは家に帰る交通費だけ残ればあとしばらくは文なしになってもかまわない。さっと頭の中で計算する。この一年数学は勉強しまくったから、暗算もお手の物だ。金は少ししかないが、廉価の弦でなくて、マーチンのPhospher Bronzeを買ってもぎりぎり帰りの電車賃が残せると踏んだ。迷わずマーチンを手にレジへ、そして精算。

楽器屋を出たオイラは今度は家に早く帰るために足早に駅へ向かった。別に家に帰ることが大事なのではなく、家で封印されているモーリス君の封印を解き、弦を張って、一刻も早く弾きまくりたいのだ。

切符自販機に小銭を入れていく。後10円だ。「えーっと、10円、10円っと・・・あり?5円じゃなくて、10円あと一枚あったはずだよなぁ・・・えっと。あれ、さっき5円なんて見なかったゾ。そっか、弦のお釣りでもらったのか。あれ?んんー、ん?」ここでようやく気がついた。・・・計算違いをしていたのだ。そう、この1年、数学はたくさん勉強したが、成績はタイシテ伸びなかった。足を引っ張った教科である。ルンルン気分で楽器店を出て駅で切符を買おうとしたその時にようやく気付いたのである。「ナンテコッタ、\10足りねーゾ!」わずかに10円玉が1枚足りんのであった。5円玉は自販機が受け付けない。一応入れてみたけど、だめだ。機械ごときだが、5円を10円と勘違いしてくれるようなことはない。後5円あればどこかで両替して・・・あと5円ない。

そう、電車乗れないのだ。なんてこったぁあああ!!

まだウブなティーンエイジャーだったオイラは駅員に相談なんてできない。ダッテはずかぴーもんっ。

しかし、受験が終わり身も心も軽いオイラはこれしきの事はヘデモないのであった。わずか、数秒の逡巡の後、となりの駅まで歩くことにしたのだった。「まぁ、いいや、となりの駅までなら歩いても対してかからねーだろ。大丈夫、大丈夫。」前向きなんである。

そしてとなりの駅へ向かう。線路沿いの道を歩くこと1時間ほどでとなりの駅に到着。

しかし、ここで、さらに厳しい現実を突き付けられた。となりの駅から乗って、さっきの駅から乗っても、オイラの家の最寄駅までの運賃は同じであった。「ナンテコッタ。」・・・こんなこともあるんですねぇ。

都会に住む人は「駅1,2つ分くらい大したキョリないじゃん」という方もおられるだろうが、この話は地方都市の話だ。駅と駅の間は何キロもあるのだよ。

だが、辛い受験生活も終わったし、トーカイちゃんはもういないけど今日からモーリスちゃんといちゃいちゃできるしで、チョー前向きだったオイラはさらに先の駅まで歩を進め始めた。若者は歩き続けるのだ!!

・・・その駅(つまりとなりのとなりの駅ね)までには田園地帯やちょっとした山林を通過するので、線路沿いには道がないところもあった。なので結構回り道した。たぶん合計で10kmは歩いたぞ。あんまり線路から離れると方向が分からなくなるので(実際結構迷った)、道が判断できないところでは線路内に入って歩いた。田舎なので電車は少ないが歩いている最中に何本かの電車をやり過ごした。スリリングだ。もうとっくに日も暮れて辺りは真っ暗。そんな中線路わきを人が歩いていたら、JRの運転手も驚いたことだろう。まねをしてはいけない。
2時間くらい歩いただろうか。ようやく駅に着き、無事に電車に乗ることができた。家に着いたのは試験が終わってから何時間も経っていたので、さすがに親も心配していたようだった。「なんで電話もしないの?試験できなくてどっか行っちゃったかと思った。」と言われた。泣けるセリフじゃんね。当時はケータイとかないし、公衆電話を使う金も惜しんでたからな。・・・マジで泣ける話だなぁ・・・いや、結構ロックな話だな。

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↑千葉駅で乗れず、隣の東千葉駅へ。そこでも乗れず都賀駅まで歩いた。

    夜中になってしまったが、モーリスの封印を解き、なけなしの金で買ったマーチンの弦を張った。封印前に練習していたイングヴェイのEvil Eyeのフレーズを弾いてみた。感動の瞬間だ。左手の指先はすっかり柔らかくなってしまっていて指が痛かったが、ピッキングやフィンガリングの感覚は例の禁断症状があったためか生きていて、思っていたよりすんなり弾けるのがうれしかった。

 

1週間後T大から「補欠合格」の通知が来た。若干ビミョーな成績だったようだ。しかし運よく、数日後に繰り上げ合格の知らせが届き、晴れて大学生になることになった。よくやったなぁ、オイラ。ぐすん。

 

こうして1年間の禁ギター生活は終わった。「わざわざギターを封印しなくても適度に楽しめばいいじゃん」とのたまうお方もオラレルだろうが、当時のオイラはそうはいかなかったのだった。不器用なのだった。だが、苦しい戦いだったが、これもロックな生き方だったと思うのだ。「そうですよねー、ジミヘン大先生!」と天に向かって問いかける。すると「いーや、違うダロ」と返答があった。でもいいのだ。これでいいのだ。

 

ちなみに高校のT先輩に売り払ったトーカイちゃんは大学入学直後に「先輩。金、後で返すからトーカイ返して!」と頼み込み、再びオイラのパートナーになった。

 

その金はいまだにT先輩に返していないのだった。

 

夏に「ギター弾きたい症候群」を発症してからも、春と同じペースで勉強はしていたものの、頭の中はギターのことが90%以上を占めるという「ギター弾きたい症候群」の症状に苦しみ続けた。何しろ勉強に集中できないのだった。ひどい時には握っていた鉛筆で空ピッキングをしていた。そうなるともう文字は書いていない。訳のわからないぐちゃぐちゃの筆跡が紙上に残った。今思うと、消しゴムで間違いを消すときもピッキング的な動きをしていたかもしれない。・・・泣ける話だなぁ。ぐすん。

そしてイマイチ成績が志望校に届かないまま、秋が過ぎていった。この時期は焦りも加わり、精神的にもきつい時期だった。この頃の思い出はほとんど残っていない。それほど勉強と「ギター弾きたい症候群」の諸症状だけの毎日だったのだ。泣けるなぁ。 そして話の展開は加速する・・・。

冬を迎え、年も明けた。いよいよ受験シーズンだ。 オイラは禁断症状に苦しみながらも、とりあえずのゴールが見えたことで残りの力を振り絞り、ラストスパートに入っていた。頭の中では脳内ヌーノがファンキーリフを刻み、脳内イングヴェイがメロディアスな速弾きでオイラを攻めてくる。しかし、それでもオイラはの目は参考書の記述を追いかけ、ピッキング的動作で書き取りを行う。脳は既にヤツらに占拠されているから、体に覚え込ませる作戦である。たぶん、学習速度は通常の3分の一以下だったろうが、ここまできたらとにかくゴールまで走りきるのみ。

・・・まじで泣ける話だなぁ、ぐすっ。自画自賛。

2月からいよいよ入試開始。最初は滑り止めを2校。どっちも合格した。余裕だったねぇ。滑り止めだからな。

そして第1志望のK大。試験前半は集中できたが、後半、脳内シェンカーが登場したが、この日はご機嫌が悪かったのか、2曲だけ演奏してステージを下りてしまった。助かった。だが、最後の選択教科が本番は過去問よりもやけに難しい問題が出た。なんじゃこりゃ。さっぱりわからなかった。得も言われぬ敗北感を胸に試験会場を後にした。・・・して不合格。オイラと同じ教科を選択していた奴らほぼ全員落ちていた(選択教科が同じだと受験番号も連番になるのでだいたいわかる)。試験が難しすぎて他の教科を選択したヤツラと差が付きすぎたのではないかと思えたが、もういい。終わったのだ。

「いいんだもんね。K大じゃなくても他にも大学はあるもんね。」何を隠そうオイラはこの頃からすでに居直り型のギタリストである。それに、実際にも第一志望といってもどうしてもそこでなければならないというこだわりはなかったのでダメージは少ない。

続いて第二志望のN大の試験では最初から最後まで例の禁断症状が出た。出まくりだ。試験終了まで頭の中では脳内ヌーノがファンキーなリフを奏でまくっていた。「All I see is pornograffitti、all I see is pornograffitti」という歌詞も繰り返された・・・英語の試験では分からない問題の解答はとりあえずPornograffittiの歌詞で埋めてやった。 そりゃそーだ。全然集中できなかったし。手ごたえなかったし。でも空白はない。とりあえず、英語はPornograffittiの歌詞で埋めたし、 数学は「A=440Hz」と回答した。ギタリスト的には正しいだろう?

トーゼン第二志望も不合格。

最後に我が母校となったT大学だ。トーダイじゃないからね。念のため。 実は第3志望だったT大は難易度は第一志望K大よりも上だった。志望順位は大学の学科のカリキュラムなどを考えて決めていて、難易度はカンケーナイ。そして実はもう一つ大事な基準を持っていた。「大学進学を機に、一人暮らしいをしたい」という野望だ。そうすれば好きなだけギターが弾けると思ったのだ。「何しに大学行くんだ!」と言われようが関係ないのだ。「高校時代も好きなだけ弾いてたんじゃないのか」という突っ込みにも耳は貸さないもんね。 一人暮らしは親は許してはいなかったのだが、家から通えない学校に決まってしまえば否応なしだろうというアザトイ計算をして勝手に願書を出して臨んだのだ。そして、その条件を満たしていたのがK大だったわけだ。しかし、やはりフジュンな動機ではだめだねぇ。

で、第3志望ではあるものの難易度は第一志望よりも上だったT大。K大、N大に比べて試験は出来た。運が良かったのか、天国のジミヘン様が「オマエをT大の軽音楽部にいれてやろう」とご配慮くださったのかわからないが、禁断症状が出なかった。試験も数日前に復習したのと似た問題が出た。だが、トータルではビミョーなところだなぁという感触だった。何しろ1年間勉強はしてきたが、集中はしにくい一年だったし、実際それほど成績は上がらなかったからなぁ。でもこれですべての受験日程が終了、心晴れ晴れだ。

01 jimi-hendrix

(新春編へつづく)

勉強はしているものの、成績がイマイチ上がらないオイラは日に日に焦りが募った。特に英語がキビシー。だらだら生活しているわけではないから、時間がたつのも早く感じる。この調子だとヤバイゼ。季節はもう夏を迎えていた。

オイラは金がなかったのでチャリで図書館に通い、食事は弁当持参。友達と遊ぶでもなく、勉強ばかりしていてクラーイ青春を送っていた。浪人生には当然だと思って割り切ってはいたが、夏は誘惑の季節なのだった。ある日、高校のクラスメイトでギター仲間のKが図書館に現れ、久しぶりだったのでしばし話し込んだ。そんな中であるCDを勧められたのだった。「これスゲーよ!!だまされたと思って聞いてみろよ!曲もいいし、ギターもすげぇぞ。ゼッテーキニイルカラサァ!」・・・タチの悪い勧誘のようなその口調に本能的に「受け取るな!」とは思ったものの、久しぶりに会った友人の勧めをムゲに断れない心やさしいオイラはそのCDを借りてしまったのだった。

その夜、家に帰りそのCDを聴いた。「うぉおっマジでスゲェ!!」・・・めっちゃ衝撃を受けた。今思えば禁ギター生活の最中だったからなおさら衝撃的だったのだ。ギターを弾きたい欲求は頂点に達し、トーカイちゃんを売ってしまったことを目茶苦茶後悔。ヌーノのように弾きてぇ!練習しなければ!と頭の中で誰かが叫んでいた。そして無意識に押入れに向かい、モーリス君の封印に手をかけたところでようやく我に返った。危ないところであった。

この時オイラは気付いた。不治の病「ギター弾きたい症候群」※に侵されていることを。・・・そしてこの時から受験が終わるまでの間、「ギター弾きたい症候群」の恐ろしい禁断症状に苦しめられることになったのだ。まんまとKの悪魔のささやきに乗ってしまったばかりに・・・

そのCDとはEXTREMEのPORNOGRAFFITTiだ。

↓これだ。

Pornograffitti

それまでオイラはイングヴェイや、ザックワイルド、ジョンサイクス、ゲイリームーアなどのテクニカルでありつつ哀愁のあるフレーズを聴かせるギタリストを好んでいた。ヴァンヘイレンも好きだったが、それはエディーが好きというより、中学の時にヒットしたアルバム「5150」の曲が大好きだったからだ。そんなオイラにとってヌーノベッテンコートのファンキーなリフは衝撃だった。「なんだこのノリノリなノリは」と、言葉にするとヘンな感じだが、とにかくあのリズム、キレにヤラレテしまったのだ。イングヴェイを初めて聞いた時も衝撃だったが、ヌーノもそれと同じくらいのインパクトがあった。曲の良さもそうだが、ギターのテクニックも新次元だった。余談だが、彼はタッピングや弦飛びが注目されがちだが、「歪んだ音でファンクのノリの切れのあるリフをビシバシ決める」ということの方がすごかったと思う。もっともこれは大学に合格して練習を再開してから気づいたのだけれど。

話を戻して、当時オイラはギター封印中の身であり、この新たな衝撃によって、持病である「ギター弾きたい症候群」が誘発されてしまったわけだ。頭の中では四六時中Decadance DanceやGet The Funk Outが再生されている。激しく躍動的な曲が続き精神が疲れてきたところでMore Than WordsやWhen I First Kiss Youなどの癒し系の曲が再生されるので疲れないぞ。タチ悪いな。「ナンテコッタ、ベンキョウニシュウチュウデキナイジャナイカ!」と思ってもアフターフェスティボーなのだった。「はかったなぁああ、Kぇええ!!」

・・・逆恨みです。(秋冬編へ続く)

 

※「ギター弾きたい症候群」とは?

四六時中ギターを手にした生活を数年送ると、それが生理的習慣となってしまい、常にギターが弾きたくてしょうがなくなる病気。命にかかわることはないが、現代の医学では治す手立てがない。症状としては長期間ギターを手にしないでいると、右手が勝手にピッキングしたり、左がフィンガリングしたりする。また、寝ている最中に勝手にライトハンドしてたり、右利きなのになぜか左でドアノブの回し、その回し方がやたらチョーキングしているみたいになる。重度になると脳内ギタリストが四六時中脳内エンドレスライブを行うようになり、現実の生活に集中できなくなりキケンである。適度にギターを弾いていると症状は出ないことが多く、無自覚である場合が多い。

若いころにこの病気に罹患すると、社会人になってから「ギター買いたい症候群」も併発するケースが多くみられる。お茶の水の楽器店街で徘徊している40~50代の男性の半数以上が罹患しているとのデータもある。

今回は高校卒業から一浪して大学に入るまでのエピソードである。泣ける話なので、ハンカチ用意でヨロシク。少し長い話なんで3、4回に分けたい。明日以降、夏、秋冬編をアップしたいと思っている。

高校時代、オイラは学校の勉強をほとんどやらなかった。時間は主にギター練習とその関係の仲間との付き合いに費やしていた。プロになりたかったわけではないが、ただただギターが楽しく、要するに「のめりこんでいた」のだ。進学校に通っていたので、高1の頃から授業の合間の休み時間にまで勉強に費やすクラスメイトもいたが、ギター仲間たちはソコまで勉強の虫という感じでもなく、皆好きなことをしていた。しかし、高3にもなるとほとんど皆受験モードに入った。春には部活を引退、予備校通い、図書館通いの生活に入っていった。それでもオイラはギターな毎日を過ごしていて、トーゼン現役大学合格は果たせなかった。
実はオイラの通っていた高校は進学校といっても、浪人して大学に入る、所謂「進学希望者」の率が高いのであって、現役での進学率はそれほど高くないかった。高3の一年間だけ頑張ってもそうそう志望校に入れるものでは無かったし。オイラもその一人だ。しかし、オイラのギター仲間たちは何故か現役で合格、中には推薦で進学したツワモノモもいた。トーゼンだが、オイラの親は「結局おまえだけが遊んでたんやんけ」と思っていただろうし、その冷戦もより高度な緊張状態に突入することになったのだ。で、月1000円のナケナシのこづかいの支給も停止。それまではシレっとギター三昧していたが、さすがに出資者である親とのこれ以上の関係悪化はマズイ。勉強してなかったくせに大学には行きたいという若者特有の贅沢な矛盾もいつまで続くものではない。そんなわけで、仲間との卒業イベントを終えたのち、大学合格まではギターを封印することを決心したのだった。高校時代、イングヴェイのEvil Eyeをよく練習していたが、ギター封印前には中間のソロは弾けないものの、他のパートは何とか形にはなってきていたのでもっと練習しかったが、とにかく1年間は我慢だ。

卒業式が済み、志望する進路に向けての生活がスタートした。冷戦の影響もあり月¥1,000のこずかいも止められていたので、愛用のトーカイレスポールは先輩に売ってしまった。さよなら、トーカイちゃん・・・(T . T)
さらに受験が済むまでの軍資金を稼ぐ為に2週間ほど水道工事のバイトもした。ギター関係の友人Kの家が水道工事屋をやっていてそこで稼がせてもらったのだった。穴堀がメインの仕事だった。

 

TokaiLP

↑金のために売り飛ばしたトーカイちゃん・・・ごめんよ。

 手元にはモーリスのエレアコ(トルネード)が残っていたが、こいつは親に買ってもらったものなので売るわけにはいかねー。弦を外してケースにしまい、ひもで縛って押入れの奥へ封印。もちろん購読していたギターマガジンも封印だ。そして、トーゼン新刊号も買うのをやめた。

モーリスエレアコ

↑ネットでそのモーリス画像を発見。サイドとバックがオベーションのような樹脂製のラウンドタイプ。

 

こうして、約一年間の禁ギター生活が始まった。トーカイを売った金で参考書を買い込んだ。ごめんよラブロック・・・。しかしメソメソしている余裕はないのだ。週に2日予備校に通い、それ以外の日は母校の近くの図書館に通って勉強を開始。スタートから夏ごろまでは結構集中してやったからか、教科によってはまずまずの成績をとれるようになった。だが何しろ高校在学中は赤点の常連だったオイラの総合成績は思うようには上がらなかった・・・(夏編へ続く)。

97,8年頃、中古でスキャロップ仕様のストラトを入手した。値段は忘れてしまったが、格安だったと思う。当時オイラはメチャクチャイングヴェイの影響を受けた演奏をしていて、ギターもイングヴェイのようなスキャロップでディマジオHS-3ピックアップのストラトがほしかった。まだ社会に出たてで、ギターには金をつぎ込んでいてもイングヴェイモデルやフルチューブのスタックマーシャルをサクサク買えるわけもなく、中古楽器屋に出かけては手ごろな価格で買えそうな機材を物色していた。そんな中で出会った機材は今ほとんど手元に残っていないが、振り返ると自分のギタリストとしてのキャリア(アマチュアだけどね♪)に重要な役割を果たしてきている。一途に一本のギターで練習するのもいいが、楽器が変わることで得られるステップアップってあるなぁ。

このストラト、写真は残っていない。Fender Japanブランドで、楽器を分解すると90年製のような表記があって型番らしき表記もあった。たしか「ST」の後に3ケタの数字が入っていたと思う。だがその時代のカタログで調べてみても、該当モデルはない。「ST3桁数字」が見当たらないのだった。どこかのショップのオーダー品の可能性もあるが、イエローホワイトの下にキャンディアップルレッドの色が残っていたのでリフィニッシュも含めた改造品だったのではないかと思う。想像だが、現在でいうFender Japan のST57を元にスキャロップ加工、イングヴェイストラトのカラーと同じイエローホワイトへのリフィニッシュ、ブラスナット、DimazioHS-3ピックアップへの交換を行ったのではないか・・・。前の持ち主がイングヴェイ好きだったことは想像つく。そうじゃなきゃこんな仕様にはしないだろう。だが、少し半端でもある。フレットはビンテージタイプのまま(イングヴェイはジャンボフレット)だし・・・正規のイングヴェイモデルには手がでないから、何とか手持ちのストラトを近づけたかったのだろうか・・・。涙ぐましいなぁ。そういうの美しいぞ。そんで、何年かしてお金もたまったので正規のイングヴェイモデルを購入!やったー!!♪ぴロぴロぴロロー♪(うれしさのあまり弾きまくっている音)。フォォー(一人で盛り上がって発している奇声)。・・・そして役目を終えたこの謎のストラトちゃんとの別れがやってきたのである。「今まで世話になったなぁ。改造しまくってゴメンヨ。次の持ち主のところでも元気でなー、バイナラ。」って感じか?

・・・中古の改造品を見て、前の持ち主がどういう考えで改造したとか、どうして手放したのかとかを想像するのはなんか楽しいぞ。むふふふ・・・オイラだけ?

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↑多分、こんなスタンダードなモデル改造したのだと思う。

st72_ywh_m

↑色はこの色に塗りなおされていた。

 このストラトを手にすることでオイラのイングヴェイフォロワーぶりが加速した。当時作った曲のソロパートはその影響がすごく出ている。

↓これだ。

タイトルは「Winter Flower」。謎のスキャロップストラトとマーシャルVavestate8040(BOSS OD-3でブースト)、弦はアーニーボールで010~049を使用している。ピックアップはDimazioのヴァーチャルビンテージシリーズの最初期のものに交換していた。他のエフェクトはMTR(Roland VS840EX)内蔵のものを使っている。ギター以外はシーケンサー。

このストラトは2005~6年頃まで所有していて家ではよく弾いていたが、転職したりで少し収入も良くなってFender USAのイングヴィエイストラトも入手していたが、音はこの謎のストラト君のほうが好みだった。というか、当時はまだまだメタル君で、深く歪ましてリードを弾くのがメインで、そのための音としては扱いやすかったのだと思う。USAは少し粗が出やすい音だし。今はUSAの方が好みだけどね。

今は、50年代、60年代のストラトを踏襲したスタンダードなモデルが好きで、そのあたりに散財もしてきたが、金に余裕がなかった頃に出会ったこの謎のスキャロップストラト君も自分のキャリアの重要な部分を担っている。世話になったなぁ。

オイラの1本目のエレキはトーカイのレスポール。定価\60,000を\36,000で購入。25年たった今もオイラのお気に入りの一本だ。このレスポールは在学中のほとんどのバンドでメインとして使ったが、実は1バンドだけ違うギターをメインにしたことがある。それは大学4年のころに組んだCharさんのコピーバンドだ。名をOiraという。マジで。オイラはOiraのギタリスト兼ボーカル。他にドラム兼ボーカルのY、ベース兼ボーカルのSの構成で3ピースの楽しさを味わった。全員がボーカルをとるというスタイルも兼ねてから温めていたもので、大学4年目のバンド活動総決算的なチャレンジだったのだ。ちなみこのバンドで出演した学園祭では以下の曲で臨んだ。

  1. Wasted
  2. All My Love
  3. B・Y
  4. Missin’ You 金星のライオン
  5. Stand
  6. Without You
  7. Every Breath You Take (これだけCharでなくポリスのカバー)
  8. からまわり
  9. Drive Me Nuts

このバンドで使ったメインギターが本題の100円ストラトだ。入手は1年前にさかのぼる。

大学3年のある日、院生のA先輩がふらりと軽音楽部の部室に現れ、唐突に「ギター売る。\100で。」と魅惑の売り込みをしたのだ。当然ながら二つ返事でめでたく2本目のエレキをゲット。別に廉価版の形だけストラトではなく、ちゃんとしたヴィンテージコピーモデルの外見で、ローズ指板、スモールヘッド、3トーンサンバースト、黒ピックガードという、まるでSRVのNo.1のような仕様。この頃はまだSRVにはまっていなかったが、やっぱり縁があったのねん。ただ、安いものにはそれなりの理由がある。このストラトはかなり強引な改造品だったのだ。ピックアップは確かアクティヴタイプの外見(実際にアクティヴだったかどうかは覚えていない。電池を入れ替えた覚えもないので、多分見た目だけ)でメーカーは不明。これは別にかまわなかったのだが、決定的な問題があった。こいつは7.25R指板だったのだが、強引にフロイドローズを後付け搭載さられており、ナットもロックナットに交換されていた。フロイドローズは普通はフラットな指板に合わせた設計なので、ナットのアールが指板のアールより弱く、1弦や6弦の弦高がやたら高く、3,4弦の弦高は異常に低いという弾きにくい代物だった。

オイラは大学2,3年の頃からCharさんのようなスリーピースのバンドでストラトというのにあこがれていて、このストラト入手によって、その夢が現実化することになったのだ。弾きにくかったけどね。

夢の実現のためには「弾きにくさ」なんてものは大した障害ではなかった。3,4弦のトレモロサドル下とナットのロックに薄い鉄板を挟み、無理やり、指板のアールに合わせ(ほんとはあっていなかったけど)て使った。そして大学4年で実戦デビューと相成ったわけだ。

それまでやっていたハードロックとは違う感触を得るために、他に掛け持ちしていたハードロックバンドとは違う機材も使用した。思い出4の話の通り、この頃のメインブースターはBOSS OD-3だったが、Oiraでは低域よりももっと荒々しい感じや、エッジの効いたクランチがほしかったのでSD-1をブースターにした。弦は010~049。アーニーボールのSkinny top heavy bottomのプレーン弦とPowerSlinkyのワウンド弦を合わせたものだ。ほかの弦はトーカイレスポールに張っていた。このことは雑言雑考「昔はHeavy Gaugeが少なかった」でも語った。昔はこういう工夫をしたもんだ。

今振り返ると、このCharバンドはそれまでメインでやってきたハードロックやメタルの癖が出まくっていて、ソロなんかはアドリブでライトハンドとか入れちゃったし、低音弦の刻みもミュートを加えて「ズクズク」ってメタルのリフみたいになっていたが、3ピースでやるのはとても勉強になった。何しろ弾きながら歌いこなすのは大変だし、3つの楽器だけでしっかり曲を聴かせなければならない。でそれはやりがいがあって面白かった。

この100円ストラト、大学卒業後友人に譲ったのだが、実はまだ現役で活躍している。その友人は現在某有名楽器店の○○ヶ丘店の店長をやっているのだが、その彼の店で試奏用として活躍しているのだ。その店でエフェクターなんかを試した人には心当たりがあるだろう。あのミョーな弾き心地のストラトだ。
いい思いで出だ。