「1年間の禁ギター生活」カテゴリーのアーカイブ

「一年間の禁ギター生活」は今回でようやく最終回だ。もし受験生ギター小僧やギターギャルがこれを読んでいたら伝えたい。受験のためにギターを封印までするのはカエッテ体に毒だということを。程好く楽しみがないとビョーキになっちゃうぞ。

さて本題に移る。

すべての受験日程を終えたその日、つまりT大の入試のその当日のこと。試験会場を出たオイラは駅までの道を足早に通り過ぎた。そして、家とは違う方向へ向かう電車に飛び乗った。家に帰る前に行かねばならぬ場所があるのだ。

二本の電車を乗り継ぎ、向かうは高校時代に行きつけにしていたC市の楽器屋だ。そう、受験は終わったのだから楽器屋に行ったってOKだ。解禁だ。水道工事のバイト&トーカイちゃんを売った所持金はとっくに尽きていたが、今日のためにバスや電車に乗るべきところを徒歩にしたり、都内の試験の時に昼代を節約したりして、少しだがへそくりを作ってあった。買うものはたった1セットの弦のみ。それ以上の余裕はない(いや、実は計算を間違えていてこの後・・・)。それにとにかく楽器屋の空気を吸いたかったのだ。

楽器屋へ向かう電車の中では「ゴールが見えていたから今日は禁断症状が出なかったのだぁ~」とか一応今日の試験を振り返りつつも、あと少しで愛しのギターちゃんといちゃいちゃできる喜びでいっぱいのオイラは足取りも心も軽かった。

楽器屋に着く。もう何年かぶりのような気分でギターを眺める。これからはバイトして好きな楽器だって買えるし、大学でもギター仲間作るぞと決意を新たにする。

一通り店内を回ると、精神もだいぶ落ち着いた。よし、弦を買って早く家のモーリスに張ってやろう。今日のところは家に帰る交通費だけ残ればあとしばらくは文なしになってもかまわない。さっと頭の中で計算する。この一年数学は勉強しまくったから、暗算もお手の物だ。金は少ししかないが、廉価の弦でなくて、マーチンのPhospher Bronzeを買ってもぎりぎり帰りの電車賃が残せると踏んだ。迷わずマーチンを手にレジへ、そして精算。

楽器屋を出たオイラは今度は家に早く帰るために足早に駅へ向かった。別に家に帰ることが大事なのではなく、家で封印されているモーリス君の封印を解き、弦を張って、一刻も早く弾きまくりたいのだ。

切符自販機に小銭を入れていく。後10円だ。「えーっと、10円、10円っと・・・あり?5円じゃなくて、10円あと一枚あったはずだよなぁ・・・えっと。あれ、さっき5円なんて見なかったゾ。そっか、弦のお釣りでもらったのか。あれ?んんー、ん?」ここでようやく気がついた。・・・計算違いをしていたのだ。そう、この1年、数学はたくさん勉強したが、成績はタイシテ伸びなかった。足を引っ張った教科である。ルンルン気分で楽器店を出て駅で切符を買おうとしたその時にようやく気付いたのである。「ナンテコッタ、\10足りねーゾ!」わずかに10円玉が1枚足りんのであった。5円玉は自販機が受け付けない。一応入れてみたけど、だめだ。機械ごときだが、5円を10円と勘違いしてくれるようなことはない。後5円あればどこかで両替して・・・あと5円ない。

そう、電車乗れないのだ。なんてこったぁあああ!!

まだウブなティーンエイジャーだったオイラは駅員に相談なんてできない。ダッテはずかぴーもんっ。

しかし、受験が終わり身も心も軽いオイラはこれしきの事はヘデモないのであった。わずか、数秒の逡巡の後、となりの駅まで歩くことにしたのだった。「まぁ、いいや、となりの駅までなら歩いても対してかからねーだろ。大丈夫、大丈夫。」前向きなんである。

そしてとなりの駅へ向かう。線路沿いの道を歩くこと1時間ほどでとなりの駅に到着。

しかし、ここで、さらに厳しい現実を突き付けられた。となりの駅から乗って、さっきの駅から乗っても、オイラの家の最寄駅までの運賃は同じであった。「ナンテコッタ。」・・・こんなこともあるんですねぇ。

都会に住む人は「駅1,2つ分くらい大したキョリないじゃん」という方もおられるだろうが、この話は地方都市の話だ。駅と駅の間は何キロもあるのだよ。

だが、辛い受験生活も終わったし、トーカイちゃんはもういないけど今日からモーリスちゃんといちゃいちゃできるしで、チョー前向きだったオイラはさらに先の駅まで歩を進め始めた。若者は歩き続けるのだ!!

・・・その駅(つまりとなりのとなりの駅ね)までには田園地帯やちょっとした山林を通過するので、線路沿いには道がないところもあった。なので結構回り道した。たぶん合計で10kmは歩いたぞ。あんまり線路から離れると方向が分からなくなるので(実際結構迷った)、道が判断できないところでは線路内に入って歩いた。田舎なので電車は少ないが歩いている最中に何本かの電車をやり過ごした。スリリングだ。もうとっくに日も暮れて辺りは真っ暗。そんな中線路わきを人が歩いていたら、JRの運転手も驚いたことだろう。まねをしてはいけない。
2時間くらい歩いただろうか。ようやく駅に着き、無事に電車に乗ることができた。家に着いたのは試験が終わってから何時間も経っていたので、さすがに親も心配していたようだった。「なんで電話もしないの?試験できなくてどっか行っちゃったかと思った。」と言われた。泣けるセリフじゃんね。当時はケータイとかないし、公衆電話を使う金も惜しんでたからな。・・・マジで泣ける話だなぁ・・・いや、結構ロックな話だな。

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↑千葉駅で乗れず、隣の東千葉駅へ。そこでも乗れず都賀駅まで歩いた。

    夜中になってしまったが、モーリスの封印を解き、なけなしの金で買ったマーチンの弦を張った。封印前に練習していたイングヴェイのEvil Eyeのフレーズを弾いてみた。感動の瞬間だ。左手の指先はすっかり柔らかくなってしまっていて指が痛かったが、ピッキングやフィンガリングの感覚は例の禁断症状があったためか生きていて、思っていたよりすんなり弾けるのがうれしかった。

 

1週間後T大から「補欠合格」の通知が来た。若干ビミョーな成績だったようだ。しかし運よく、数日後に繰り上げ合格の知らせが届き、晴れて大学生になることになった。よくやったなぁ、オイラ。ぐすん。

 

こうして1年間の禁ギター生活は終わった。「わざわざギターを封印しなくても適度に楽しめばいいじゃん」とのたまうお方もオラレルだろうが、当時のオイラはそうはいかなかったのだった。不器用なのだった。だが、苦しい戦いだったが、これもロックな生き方だったと思うのだ。「そうですよねー、ジミヘン大先生!」と天に向かって問いかける。すると「いーや、違うダロ」と返答があった。でもいいのだ。これでいいのだ。

 

ちなみに高校のT先輩に売り払ったトーカイちゃんは大学入学直後に「先輩。金、後で返すからトーカイ返して!」と頼み込み、再びオイラのパートナーになった。

 

その金はいまだにT先輩に返していないのだった。

 

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夏に「ギター弾きたい症候群」を発症してからも、春と同じペースで勉強はしていたものの、頭の中はギターのことが90%以上を占めるという「ギター弾きたい症候群」の症状に苦しみ続けた。何しろ勉強に集中できないのだった。ひどい時には握っていた鉛筆で空ピッキングをしていた。そうなるともう文字は書いていない。訳のわからないぐちゃぐちゃの筆跡が紙上に残った。今思うと、消しゴムで間違いを消すときもピッキング的な動きをしていたかもしれない。・・・泣ける話だなぁ。ぐすん。

そしてイマイチ成績が志望校に届かないまま、秋が過ぎていった。この時期は焦りも加わり、精神的にもきつい時期だった。この頃の思い出はほとんど残っていない。それほど勉強と「ギター弾きたい症候群」の諸症状だけの毎日だったのだ。泣けるなぁ。 そして話の展開は加速する・・・。

冬を迎え、年も明けた。いよいよ受験シーズンだ。 オイラは禁断症状に苦しみながらも、とりあえずのゴールが見えたことで残りの力を振り絞り、ラストスパートに入っていた。頭の中では脳内ヌーノがファンキーリフを刻み、脳内イングヴェイがメロディアスな速弾きでオイラを攻めてくる。しかし、それでもオイラはの目は参考書の記述を追いかけ、ピッキング的動作で書き取りを行う。脳は既にヤツらに占拠されているから、体に覚え込ませる作戦である。たぶん、学習速度は通常の3分の一以下だったろうが、ここまできたらとにかくゴールまで走りきるのみ。

・・・まじで泣ける話だなぁ、ぐすっ。自画自賛。

2月からいよいよ入試開始。最初は滑り止めを2校。どっちも合格した。余裕だったねぇ。滑り止めだからな。

そして第1志望のK大。試験前半は集中できたが、後半、脳内シェンカーが登場したが、この日はご機嫌が悪かったのか、2曲だけ演奏してステージを下りてしまった。助かった。だが、最後の選択教科が本番は過去問よりもやけに難しい問題が出た。なんじゃこりゃ。さっぱりわからなかった。得も言われぬ敗北感を胸に試験会場を後にした。・・・して不合格。オイラと同じ教科を選択していた奴らほぼ全員落ちていた(選択教科が同じだと受験番号も連番になるのでだいたいわかる)。試験が難しすぎて他の教科を選択したヤツラと差が付きすぎたのではないかと思えたが、もういい。終わったのだ。

「いいんだもんね。K大じゃなくても他にも大学はあるもんね。」何を隠そうオイラはこの頃からすでに居直り型のギタリストである。それに、実際にも第一志望といってもどうしてもそこでなければならないというこだわりはなかったのでダメージは少ない。

続いて第二志望のN大の試験では最初から最後まで例の禁断症状が出た。出まくりだ。試験終了まで頭の中では脳内ヌーノがファンキーなリフを奏でまくっていた。「All I see is pornograffitti、all I see is pornograffitti」という歌詞も繰り返された・・・英語の試験では分からない問題の解答はとりあえずPornograffittiの歌詞で埋めてやった。 そりゃそーだ。全然集中できなかったし。手ごたえなかったし。でも空白はない。とりあえず、英語はPornograffittiの歌詞で埋めたし、 数学は「A=440Hz」と回答した。ギタリスト的には正しいだろう?

トーゼン第二志望も不合格。

最後に我が母校となったT大学だ。トーダイじゃないからね。念のため。 実は第3志望だったT大は難易度は第一志望K大よりも上だった。志望順位は大学の学科のカリキュラムなどを考えて決めていて、難易度はカンケーナイ。そして実はもう一つ大事な基準を持っていた。「大学進学を機に、一人暮らしいをしたい」という野望だ。そうすれば好きなだけギターが弾けると思ったのだ。「何しに大学行くんだ!」と言われようが関係ないのだ。「高校時代も好きなだけ弾いてたんじゃないのか」という突っ込みにも耳は貸さないもんね。 一人暮らしは親は許してはいなかったのだが、家から通えない学校に決まってしまえば否応なしだろうというアザトイ計算をして勝手に願書を出して臨んだのだ。そして、その条件を満たしていたのがK大だったわけだ。しかし、やはりフジュンな動機ではだめだねぇ。

で、第3志望ではあるものの難易度は第一志望よりも上だったT大。K大、N大に比べて試験は出来た。運が良かったのか、天国のジミヘン様が「オマエをT大の軽音楽部にいれてやろう」とご配慮くださったのかわからないが、禁断症状が出なかった。試験も数日前に復習したのと似た問題が出た。だが、トータルではビミョーなところだなぁという感触だった。何しろ1年間勉強はしてきたが、集中はしにくい一年だったし、実際それほど成績は上がらなかったからなぁ。でもこれですべての受験日程が終了、心晴れ晴れだ。

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(新春編へつづく)

勉強はしているものの、成績がイマイチ上がらないオイラは日に日に焦りが募った。特に英語がキビシー。だらだら生活しているわけではないから、時間がたつのも早く感じる。この調子だとヤバイゼ。季節はもう夏を迎えていた。

オイラは金がなかったのでチャリで図書館に通い、食事は弁当持参。友達と遊ぶでもなく、勉強ばかりしていてクラーイ青春を送っていた。浪人生には当然だと思って割り切ってはいたが、夏は誘惑の季節なのだった。ある日、高校のクラスメイトでギター仲間のKが図書館に現れ、久しぶりだったのでしばし話し込んだ。そんな中であるCDを勧められたのだった。「これスゲーよ!!だまされたと思って聞いてみろよ!曲もいいし、ギターもすげぇぞ。ゼッテーキニイルカラサァ!」・・・タチの悪い勧誘のようなその口調に本能的に「受け取るな!」とは思ったものの、久しぶりに会った友人の勧めをムゲに断れない心やさしいオイラはそのCDを借りてしまったのだった。

その夜、家に帰りそのCDを聴いた。「うぉおっマジでスゲェ!!」・・・めっちゃ衝撃を受けた。今思えば禁ギター生活の最中だったからなおさら衝撃的だったのだ。ギターを弾きたい欲求は頂点に達し、トーカイちゃんを売ってしまったことを目茶苦茶後悔。ヌーノのように弾きてぇ!練習しなければ!と頭の中で誰かが叫んでいた。そして無意識に押入れに向かい、モーリス君の封印に手をかけたところでようやく我に返った。危ないところであった。

この時オイラは気付いた。不治の病「ギター弾きたい症候群」※に侵されていることを。・・・そしてこの時から受験が終わるまでの間、「ギター弾きたい症候群」の恐ろしい禁断症状に苦しめられることになったのだ。まんまとKの悪魔のささやきに乗ってしまったばかりに・・・

そのCDとはEXTREMEのPORNOGRAFFITTiだ。

↓これだ。

Pornograffitti

それまでオイラはイングヴェイや、ザックワイルド、ジョンサイクス、ゲイリームーアなどのテクニカルでありつつ哀愁のあるフレーズを聴かせるギタリストを好んでいた。ヴァンヘイレンも好きだったが、それはエディーが好きというより、中学の時にヒットしたアルバム「5150」の曲が大好きだったからだ。そんなオイラにとってヌーノベッテンコートのファンキーなリフは衝撃だった。「なんだこのノリノリなノリは」と、言葉にするとヘンな感じだが、とにかくあのリズム、キレにヤラレテしまったのだ。イングヴェイを初めて聞いた時も衝撃だったが、ヌーノもそれと同じくらいのインパクトがあった。曲の良さもそうだが、ギターのテクニックも新次元だった。余談だが、彼はタッピングや弦飛びが注目されがちだが、「歪んだ音でファンクのノリの切れのあるリフをビシバシ決める」ということの方がすごかったと思う。もっともこれは大学に合格して練習を再開してから気づいたのだけれど。

話を戻して、当時オイラはギター封印中の身であり、この新たな衝撃によって、持病である「ギター弾きたい症候群」が誘発されてしまったわけだ。頭の中では四六時中Decadance DanceやGet The Funk Outが再生されている。激しく躍動的な曲が続き精神が疲れてきたところでMore Than WordsやWhen I First Kiss Youなどの癒し系の曲が再生されるので疲れないぞ。タチ悪いな。「ナンテコッタ、ベンキョウニシュウチュウデキナイジャナイカ!」と思ってもアフターフェスティボーなのだった。「はかったなぁああ、Kぇええ!!」

・・・逆恨みです。(秋冬編へ続く)

 

※「ギター弾きたい症候群」とは?

四六時中ギターを手にした生活を数年送ると、それが生理的習慣となってしまい、常にギターが弾きたくてしょうがなくなる病気。命にかかわることはないが、現代の医学では治す手立てがない。症状としては長期間ギターを手にしないでいると、右手が勝手にピッキングしたり、左がフィンガリングしたりする。また、寝ている最中に勝手にライトハンドしてたり、右利きなのになぜか左でドアノブの回し、その回し方がやたらチョーキングしているみたいになる。重度になると脳内ギタリストが四六時中脳内エンドレスライブを行うようになり、現実の生活に集中できなくなりキケンである。適度にギターを弾いていると症状は出ないことが多く、無自覚である場合が多い。

若いころにこの病気に罹患すると、社会人になってから「ギター買いたい症候群」も併発するケースが多くみられる。お茶の水の楽器店街で徘徊している40~50代の男性の半数以上が罹患しているとのデータもある。

今回は高校卒業から一浪して大学に入るまでのエピソードである。泣ける話なので、ハンカチ用意でヨロシク。少し長い話なんで3、4回に分けたい。明日以降、夏、秋冬編をアップしたいと思っている。

高校時代、オイラは学校の勉強をほとんどやらなかった。時間は主にギター練習とその関係の仲間との付き合いに費やしていた。プロになりたかったわけではないが、ただただギターが楽しく、要するに「のめりこんでいた」のだ。進学校に通っていたので、高1の頃から授業の合間の休み時間にまで勉強に費やすクラスメイトもいたが、ギター仲間たちはソコまで勉強の虫という感じでもなく、皆好きなことをしていた。しかし、高3にもなるとほとんど皆受験モードに入った。春には部活を引退、予備校通い、図書館通いの生活に入っていった。それでもオイラはギターな毎日を過ごしていて、トーゼン現役大学合格は果たせなかった。
実はオイラの通っていた高校は進学校といっても、浪人して大学に入る、所謂「進学希望者」の率が高いのであって、現役での進学率はそれほど高くないかった。高3の一年間だけ頑張ってもそうそう志望校に入れるものでは無かったし。オイラもその一人だ。しかし、オイラのギター仲間たちは何故か現役で合格、中には推薦で進学したツワモノモもいた。トーゼンだが、オイラの親は「結局おまえだけが遊んでたんやんけ」と思っていただろうし、その冷戦もより高度な緊張状態に突入することになったのだ。で、月1000円のナケナシのこづかいの支給も停止。それまではシレっとギター三昧していたが、さすがに出資者である親とのこれ以上の関係悪化はマズイ。勉強してなかったくせに大学には行きたいという若者特有の贅沢な矛盾もいつまで続くものではない。そんなわけで、仲間との卒業イベントを終えたのち、大学合格まではギターを封印することを決心したのだった。高校時代、イングヴェイのEvil Eyeをよく練習していたが、ギター封印前には中間のソロは弾けないものの、他のパートは何とか形にはなってきていたのでもっと練習しかったが、とにかく1年間は我慢だ。

卒業式が済み、志望する進路に向けての生活がスタートした。冷戦の影響もあり月¥1,000のこずかいも止められていたので、愛用のトーカイレスポールは先輩に売ってしまった。さよなら、トーカイちゃん・・・(T . T)
さらに受験が済むまでの軍資金を稼ぐ為に2週間ほど水道工事のバイトもした。ギター関係の友人Kの家が水道工事屋をやっていてそこで稼がせてもらったのだった。穴堀がメインの仕事だった。

 

TokaiLP

↑金のために売り飛ばしたトーカイちゃん・・・ごめんよ。

 手元にはモーリスのエレアコ(トルネード)が残っていたが、こいつは親に買ってもらったものなので売るわけにはいかねー。弦を外してケースにしまい、ひもで縛って押入れの奥へ封印。もちろん購読していたギターマガジンも封印だ。そして、トーゼン新刊号も買うのをやめた。

モーリスエレアコ

↑ネットでそのモーリス画像を発見。サイドとバックがオベーションのような樹脂製のラウンドタイプ。

 

こうして、約一年間の禁ギター生活が始まった。トーカイを売った金で参考書を買い込んだ。ごめんよラブロック・・・。しかしメソメソしている余裕はないのだ。週に2日予備校に通い、それ以外の日は母校の近くの図書館に通って勉強を開始。スタートから夏ごろまでは結構集中してやったからか、教科によってはまずまずの成績をとれるようになった。だが何しろ高校在学中は赤点の常連だったオイラの総合成績は思うようには上がらなかった・・・(夏編へ続く)。